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ブックマーク / aesthetica.hatenablog.com (2)

  • シネマ企画/Music and Philosophy - aesthetica’s blog

    主催・立命館大学、配給・京都シネマで(それなりの人気・集客をもって)開催されている「シネマで学ぶ「人間と社会の現在」」という企画がありまして(サイトはココ)、そのシリーズ7(全三回)を私がまとめて担当することになりました。ゲストの人選や日程なども含め、ここ一週間くらいでバタバタと決定。 公開講座 シネマで学ぶ「人間と社会の現在」 シリーズ7「挑発する女たち──アートの臨界」 1月29日(土)「マリア・カラスの真実」 対談:吉田寛(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)×松原洋子(同教授) 2月19日(土)「≒草間彌生〜わたし大好き〜」 対談:建畠晢(国立国際美術館館長)×吉田寛 3月5日(土)「ファッションが教えてくれること」 対談:平芳裕子(神戸大学大学院人間発達環境学研究科専任講師)×吉田寛 主催:立命館大学人間科学研究所、立命館大学生存学研究センター 共催:京都シネマ 会場:立命

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  • 音楽は「聴覚文化」研究の対象ではない? - aesthetica’s blog

    少し前から考えていたことだが、音楽は実は「聴覚文化」研究の対象ではないかも知れない。(そこから翻って、そもそも「聴覚文化」研究なるものの内実は空虚ではないか、ということでもあるのだが。) 「美術」が「視覚文化」研究の中で(も)それなりの位置を占めているようには、「音楽」は「聴覚文化」研究の中で場所を持たないかも知れない、ということだ。 「聴覚文化」研究と言った場合、その主要なコンテンツは、私が考えるに、聴覚・耳の研究(例えばヘルムホルツ、ベケシー)、言語・声・聴取の研究(例えばオング、マクルーハン)、メディア・器具の研究(例えばキトラー、スターン)などであり、いわゆる「音楽作品」は、「聴覚(耳)に基づく独特の文化的編成」云々といった議論と実はそりが合わないのではないか。かりに「聴覚」と「聴覚性」を区別したとして──この区別自体、「視覚」と「視覚性」ほどには自明・有意義ではないだろう──この

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