南方マンダラに関するduniaのブックマーク (3)

  • 『南方熊楠を知る事典』-松居(第一章)

    I 南方熊楠を知るためのキーワード集 博物学 [このページのはじめへ] 南方熊楠という思想家と出会う際に、「見る」という行為はとりわけ重要な位置を占めている。 たとえば長持ち箱にぎっしりと詰め込まれた、動・植・鉱物のスケッチ。五十二巻の十九世紀英国風の帳面に英・仏・独・伊語などの稀覯からの引用がていねいに書きつけられたいわゆる「ロンドン抜書」。熊野山中で半紙に書きなぐられた「南方曼陀羅」と呼ばれる思考モデル。さらに、晩年の彼があれほどの情熱を傾けて研究を続けた粘菌という特異な生物の世界。 それらはみな、視覚的な体験を通して生き生きとした姿を我々の前に現わし、おのが存在を次々と主張しはじめる。紀州白浜の記念館を訪ねてもよい。あるいは雑誌の南方特集号をめくってみるだけでもよい。そこには南方熊楠という思想家をめぐるこうした事物が所狭しと繰り広げられており、我々は一目見ただけでその熱気に圧倒され

  • 京都新聞

    後継者がいない銭湯などの経営を引き継いで次代に銭湯文化を残す活動を展開し、全国的に注目されている「ゆとなみ社」(京都市下京区)の湊三次郎社…

    京都新聞
  • 南方熊楠 - Wikipedia

    南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)は、日の博物学者・生物学者・民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた[1]。そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日に導入した。 1929年には昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献している[2]。 民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがある。その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されている。 フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した[3]。言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している[4]。 柳

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