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2018年1月1日のブックマーク (2件)

  • 鈴木と申します

    タイトルの通り、俺の名字は東日ではありふれまくっている鈴木です 鈴木歴=年齢で、生まれて30年の鈴木歴を持っています 鈴木や佐藤クラスになると、他の苗字の人間であればたいていは経験していると思われる、 「スズキと申します」 「へえ、スズキさんね! どういう漢字を書くの?」 というイベントをスルーできる いわば名字のシード権を持っていると言える しかし日、俺は30歳にして初めてこのイベントに出くわしてしまった 電話応対は任せろ状態だったのに、俺は情けなくも、しどろもどろになってしまった 必死で返した言葉は 「よ、よくある鈴木です……!」 情けねえ~~~~!!! そしていまだにこの質問に対するうまい回答が思い浮かばないでいる たとえば俺が田中だったなら「田んぼのタに真ん中のナカです」と答えたし、山だったら「富士山のヤマに当のホンです」とか答えられただろう でも俺みたいな鈴木や、同じレベ

    鈴木と申します
    dusttrail
    dusttrail 2018/01/01
    業務で人の名前の漢字を頻繁に説明するけど、「山」は「普通の山です」って説明してる。鈴木も「普通の鈴木です」でいいのでは。
  • 年賀状はいらない文化なのか?

    ゆうパックの話題でなぜか年賀状やめろってブコメが付いていることが多い 年賀状(あとお歳暮とかも)いらない文化だから滅びろみたいなことを書いてる人もいる 俺はここ数年、年賀状仕分け(内務)の短期バイトをやっているのだが色々と思うところもある 無駄といえば無駄だとは思うんよ 毎年、区分も大変だし、束になると結構重いし、手区分めんどくさいし、郵便局の人達の顔色どんどん悪くなっていくし でも文化って言ってしまえば無駄なことに力を注げる余裕のことでしょ? それにさ、人との繋がりってそれを維持するのに実態のある物をやり取りするのが結構重要だと思うんよ 年始の挨拶なんてメールやLINEでいいだろって人もいる でも、これは経験則からなんだけど普段から顔を合わせてる人や家族はともかく、そうでない人との関係はそれだけだと疎遠になっちゃう事が多い 隣の県程度の距離でも年賀状のやり取りすらしない相手とは疎遠になっ

    年賀状はいらない文化なのか?
    dusttrail
    dusttrail 2018/01/01
    年賀状が流行り出したころは「お宅に赴いてご挨拶すべきところをあんな葉書一枚で…寂しいもんだね…」って思われてたんやで。(岡本綺堂『年賀郵便』 http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/49537_33350.html