1949年5月23日にドイツ連邦共和国の憲法である「基本法(Grundgesetz)」が公布されてから、今年で60年。第2次世界大戦に敗れたドイツはこの間、4カ国に分割占領された後、冷戦下で東西に分裂。別々の国として全く違った道を進みながらも、90年に再統一を果たした。基本法制定60年となるこの機に、ドイツがこれまでを歩んできた歴史を基本法とともに、いま一度見直してみよう。 東西ドイツの成立 1945年4月、ソ連軍のベルリン突入、ヒトラーの自殺で無条件降伏したドイツは、戦勝国の米、英、仏、ソ連の4カ国によって分割占領されることになった。その後、米、英、仏の資本主義陣営は、共産主義国ソ連との対立が深まる中、占領する西側地区にドイツ・マルクを導入。さらに各州の首相を招集し憲法を制定した。こうしてドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland=BRD、当時の西ドイツ)が誕
人気急落、国政進出微妙に=重要課題で方向性示せず−ドイツ海賊党 人気急落、国政進出微妙に=重要課題で方向性示せず−ドイツ海賊党 【ベルリン時事】ドイツで昨年後半から今年前半にかけて行われた各州議会選で相次いで議席を獲得し、ブームを巻き起こした新興政党・海賊党の人気に陰りが見えている。支持率の落ち込みが激しく、目標とする来年秋の総選挙での国政進出が微妙になってきた。 海賊党はインターネットの利用規制緩和やネット上のプライバシー保護を主張。既成政党に不満を持つ有権者の票の受け皿となり、昨年9月のベルリン市(州と同格)議会選で州レベルで初めて議席を獲得すると、今年前半の3州議会選でも当選者を出した。 州議選での躍進は全国レベルの支持拡大につながり、調査機関フォルザの4月の世論調査では支持率が13%に達し、二大政党に次ぐ人気を集めた。ところが、夏以降は急速に勢いを失い、支持率は総選挙で議席獲得
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く