ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (2)

  • 「正義の味方」という言葉の由来について - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp この『はてな匿名ダイアリー』をみて、僕も以前、なぜ「正義」ではなくて、「正義の味方」なのだろうか?と、疑問になったことを思い出したのです。 実は「正義の味方」という表現は、ずっと昔からあったわけではなくて、太平洋戦争が終わってしばらく経った1958年に放送がはじまった『月光仮面』で使われ始めたのです。 fujipon.hatenadiary.com 『クイック・ジャパン』創刊当初の名物企画から生まれたインタビュー集『篦棒(ベラボー)な人々』のなかで、『月光仮面』の原作者であり、「正義の味方」という表現をつくった川内康範さんが、こんな話をされています。 川内康範:月光仮面は月光菩薩に由来しているんだけど、月光菩薩は来、脇仏なんだよね。脇役で人を助ける。月光仮面もけっして主役じゃない。裏方なんだな。だから「正義の味方」なんだよ。けっして正義そのものではない

    「正義の味方」という言葉の由来について - いつか電池がきれるまで
    dzod
    dzod 2017/05/20
    正義にはなれないのでせめて悪人を殴って正義の気分だけでも味わいたいって今の時代にマッチしていて実にいいな
  • 「罪をつぐなう」ということ - いつか電池がきれるまで

    観ていたワイドショーのなかで、『絶歌』の発売について、街の人の声をきいていたのです。 そのなかで、「罪もつぐなっていないのに、こんなふうにを出すなんて……」と答えていた人がいました。 そうだよね……と思いつつも、僕はふと考えたのです。 いったいどういう状況になれば、「少年A」は「罪をつぐなった」ことになるのだろう?と。 いまの世の中の慣習としては、罪に対して、刑務所で服役したり、罰金を払ったりすれば「罪をつぐなった」ということになっています。 その後は、基的に、外部から何かを強要されることはない。 もっとも、「少年A」は、犯罪をおかした年齢が低かったので、当時の少年法にもとづいて裁かれ、刑務所で服役してはいないのですけど。 現実には、それとは別に「刑務所帰り」に対する偏見のような「社会的制裁」もあります。 「人を殺したことがあっても、刑務所で服役して帰ってくれば、『罪をつぐなった』から

    「罪をつぐなう」ということ - いつか電池がきれるまで
    dzod
    dzod 2015/06/13
    結局「なんであいつは普通に生きてるの?」という嫉妬の炎なんだから、鎮火するにはこれはもう相手に死んでもらうことじゃなくて相手に不幸になってもらうしかない
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