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2007年3月20日のブックマーク (4件)

  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
  • http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070320-172519.html

    eal
    eal 2007/03/20
    やるマン終わるのかあ…。小俣さんはどうするのかなあ。
  • metamorphosis:日常と非日常とを分ける節目の時――『うる星やつら』と『涼宮ハルヒの憂鬱』を巡って

    前回は、アニメを見ることに関わる実存的な問題を少しだけ提起した。そこで問題になっていることは、生活のリズムを刻むこと、平板な世界にいかに起伏をもたらすか、ということである。これは、つまるところ、世界をいかに意味づけるか、ということである。あるいは、日常生活というものをいかにして再構成するか、ということである。 この日常生活の分節化の問題が、今日の非常に多くのサブカルチャー作品に見出されるということが、現在の僕の関心事である。何度も繰り返すことになるが、日常生活そのものを描くことはできないので、こうした作品において問題になっていることは、言ってみれば、日常生活における節目を発見することであるだろう。つまり、何かの終わりであると同時に何かの始まりでもあるような、そうした節目を様々なところに発見することが問題になっているのである。 現在は卒業式のシーズンであるが、卒業式というのもまた、ひとつの節

    metamorphosis:日常と非日常とを分ける節目の時――『うる星やつら』と『涼宮ハルヒの憂鬱』を巡って
    eal
    eal 2007/03/20
    ハルヒはそのうち見たいと思います(ずいぶん前にそう決意したはずなんだけどなあ)。
  • 論じてほしかったこと -東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』-

    ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/03/16メディア: 新書購入: 34人 クリック: 461回この商品を含むブログ (462件) を見る 僕をエロゲーマーにしたきっかけの一つである動ポモの続論ということでずいぶん前から期待しつつ刊行を待っていた書だけど、現在のややしらけた状況を反映してか、分厚さの割には新鮮味はあまり感じられなかった。まあ、存在論的、郵便的に始まり、メルマガ波状言論や情報自由論まで読んでいたくらいなので、いまさら何かまったく新しいものを期待するのは贅沢すぎることだけど。 全体的に、自分の立場の弁明みたいなことに割かれているスペースが大きく、特に前半の理論編では大塚英志や伊藤剛などの論をまとめつつという感じだったので、この辺の一回読めば十分ですっていうような抽象的な話はもっと

    eal
    eal 2007/03/20
    動ポモ2の感想。