2012年2月16日のブックマーク (3件)

  • 小泉にあって橋下市長にないもの

    竹中平蔵だ。 橋下大阪市長が、国政進出を狙って打ち出した、政策の大枠を発表した。「維新八策」というもので、坂龍馬にも、明治維新にも関心のない私には、どうでもいいネーミングだが、いわゆる元官僚ブレーンが考えたモノだろう。メディアは大々的にこれを取り上げている。 一般的に、東京のインテリ、エスタブリッシュメントは、橋下氏は好みではなく、また彼の成功、影響力に対して懐疑的だ。しかし、好き嫌いはともかく、これは過小評価だと思う。 橋下氏は、権力、首相を狙っているだけで、それ自体が目的である。実現したい政策は実は何もない、という冷ややかな見方のようだが、それは正しいが間違っている。政策が何もないから、強いし怖いのだ。 その対極は民主党だ。みんな政策に一家言あり、政策を語れない政治家は知的な政治家ではなく、だめな政治家、という風潮がある。だから、自分の思いの詰まった政策、自分が考えた政策にこだわる。

    小泉にあって橋下市長にないもの
    earlyon
    earlyon 2012/02/16
  • 小堺ジュニア翔太、NHK「夕方の顔」に - 芸能ニュース : nikkansports.com

    小堺一機の長男でフリーアナウンサーの小堺翔太(25)が、NHKBS1「ほっと@アジア」(4月2日スタート、月~金曜、午後5時)にレギュラー出演することになり、16日、都内の同局で行われた衛星放送出演者発表会見に出席した。民放のローカル局でリポーターの経験はあるが、NHKは初出演。「精いっぱい務める。父はお昼、僕は夕方の顔になれたらいい」と抱負を語った。

    小堺ジュニア翔太、NHK「夕方の顔」に - 芸能ニュース : nikkansports.com
    earlyon
    earlyon 2012/02/16
    おお~、コサキンファンとしては感慨深いものがあるなぁ。
  • 船中八策 - Wikipedia

    船中八策(せんちゅうはっさく)は、土佐藩脱藩志士の坂龍馬が江戸時代末期(幕末)の慶応3年(1867年)に新国家体制の基方針を起草したとされる、創作上の[1]策・文である。 慶応3年(1867年)6月、坂龍馬はいろは丸沈没事件を解決させたのち、京都に上洛していた前土佐藩主の山内豊信(容堂)に対して大政奉還論を進言するため、藩船の「夕顔」で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の後藤象二郎に対して口頭で提示したものを海援隊士の長岡謙吉が書きとめ成文化したとされ[2]、この「船中八策」が「五箇条の御誓文」となった[3]と言われていた。しかし、2010年代の文献調査により、明治以降に龍馬の伝記が編まれる際に創作されたという見解が有力となっている。 一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事 一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事 一、有材

    earlyon
    earlyon 2012/02/16
    マニュフェストみたいな横文字じゃ共感が得られないとみて坂本龍馬を持ち出すあたりがなぁ。龍馬に倣うということは近江屋事件みたいなのも起こったりして?(をいをい)