2013年12月12日12:06 カテゴリ法/政治 無神論としての近代国家 秘密保護法騒ぎでは「メディアが国家権力と闘う」という類のお題目をよく聞かされたが、役所にぶら下がる記者クラブが、権力といつ闘ったのか教えてほしいものだ。彼らに付和雷同する学者や芸能人も含めて、日本人は国家を理解していない。スキナーがいうように、近代国家はキリスト教の陰画だからである。 しかし田川建三氏も指摘するように、日本人が一度だけキリスト教に近づいた時期がある。鎌倉仏教、特に浄土真宗である。親鸞の絶対他力の思想は、神の救済はイエスの犠牲で約束されたので絶対だとするパウロと似ている。神の摂理は人間の力では変えられないので、偶像や現世利益も否定する。日本人が超越性を信じたのは、後にも先にもこの戦乱の時代だけだった。 パウロ主義は親鸞の300年後にルターによって再現され、カルヴァンの神権政治に継承された。そこでは予定