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軽い話なのですが。 今、付き合ってるカレと食事に行くとき、何を食べるのかすんなり決まらないので困っています。 午後7時ごろ待ち合わせで、さあ、これから食事でもしようかということになると、カレは「何を食べたい?」と訊いてきます。私が「中華」と答えると「うーん、今日はこってりしたものはちょっと」というので「じゃあ、和食」と切り換えると「でも、君は中華がいいんだよね?」と。 私は食事にこだわりはないし、体調で食べたいものが変わるわけでもないので「いや、何か具体案を出したほうがまとまりやすいと思っただけで、なんでもいいです」と答えるのですが、「でも、やっぱり、それを言ったってことは、どこかで求めてるんでは?」などなど、延々と私が提案し、カレがとても回りくどい答え方で却下するという過程をたどります。それに10分くらいかかります。 で、行きたい店が決まり、実際にその場所に行き、その店での食べたいものを
今まで生きてきて25年、どうも、俺の考え方が他の人と違っているなぁ、と思いながら、今日、その違いの本質っぽいところにたどり着いた。学校でも、会社でも、目標を作って「壁を乗り越える」ことが評価されるようなのだが・・・ そもそも、壁を乗り越えることに意味ってあるの? その壁って、すでに他の人が乗り越えたものじゃないの?前人未到の壁だっていう証明はどこにあるの?他の人と同じ壁を乗り越えても、それって意味あるの?社会には人がたくさんいるわけで、あなたが壁だと思っている目標を、軽々と超える人もいるわけだ。あなたが頑張って壁を越えたとしても、それって、何かを達成したことになるのかな?あなたを評価する人・あなたを雇う人から見れば、あなたが壁を乗り越えようが乗り越えまいが、壁を軽々と乗り越える人の方が評価は高いわけだ。「何かを達成する」ということが、他者の評価を上げるということだったなら、別に、壁を乗り越
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