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地図と海に関するedoruneのブックマーク (3)

  • 「東京湾」はどこからどこまでか?2つの基準がある | Kousyoublog

    『【東京湾】 関東平野の南に湾入している海湾。狭義には観音崎と富津岬を結んだ線より北の部分を、広義には三浦半島の剣崎と房総半島の洲崎を結んだ線より北の部分を指す。浦賀水道によって太平洋に通ずる。沿岸の埋立が進んでいる。』(「広辞苑 第六版」) 広辞苑には東京湾の範囲についてこう説明されている。狭義と広義の範囲の違いは歴史的な範囲と行政上の範囲の違いである。 狭義の歴史的な範囲について、「江戸湾」という呼称は明治時代に東京湾という呼称が生まれてから、東京湾という呼称の対比として使われるようになったもので、江戸時代には現在の東京湾にあたる海域は「内海」(または「内湾」)、または江戸を冠して「江戸内海(江戸内湾)」か「江戸前」と呼ばれていた。その「内海」から外の太平洋は「外海」で、その区切りとなるのが三浦半島の走水地域にある観音崎と房総半島の小糸川河口付近(富津洲)にある富津岬を結んだ線であっ

    「東京湾」はどこからどこまでか?2つの基準がある | Kousyoublog
  • 時事ドットコム:日本初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も−海保倉庫から、公開へ

    初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も−海保倉庫から、公開へ 日初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も−海保倉庫から、公開へ 海上保安庁の東京都中央区の施設から、日初の海図に使われた明治初頭の岩手県釜石港の水深図や、昭和初期の商船の交通量を示す旧日海軍の機密海図などの歴史的資料が大量に見つかった。  同庁海洋情報部の移転に伴い、財団法人「日水路協会」が2010年度から資料を整理する中で発見し、約1万3500点をデジタルデータ化した。海洋情報資料館(東京都江東区)で25日から閲覧できる。特に貴重な約190点はインターネットで公開する。  同協会によると、日の海図の父とされる海軍初代水路局長の柳楢悦らが1871(明治4)年9月に測量した釜石港の水深図は、5階倉庫にあった。この図を基に翌72年9月、日で初めて海図が刊行された。同年10月刊行の岩手県宮古港の海図の基となった71

  • 列島沈没地図 / SAFETY JAPAN [細野 透氏] / 日経BP社

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