小峰英裕さんが小学4年時に、父の被爆体験をつづった作文=長崎市平野町で2024年6月11日午後0時13分、尾形有菜撮影 懐かしい教え子との40年ぶりの対面に自然と顔がほころんだ。長崎市の被爆者、山川剛(たけし)さん(87)は6月、同市の原爆資料館で小峰英裕(ひでひろ)さん(50)と再会した。1984年、山川さんが市立西町小で4年生の担任教諭を務めた時の児童の一人。山川さんは、こんな書き出しで小峰さんが当時つづった作文を大切に保管してきた。「ぼくのお父さんは西町で原ばくにあいました」――。 きっかけは、1学期の放課後、小峰さんがふと口にした言葉だった。「僕ん方(がた)に仙二おじちゃんの来(く)っとばい」。小峰さんの父が営む理容室に当時、平和運動をけん引していた被爆者の山口仙二さん(2013年に82歳で死去)が通っていたという。山口さんは大やけどを負い、顔や首などにケロイドが残っていた。「仙二