【コラム】朝日新聞の孤立 1987年5月3日、朝日新聞阪神支局の記者2人が、編集室に押し入ってきた暴漢に銃撃された。脇腹を撃たれた29歳の記者は翌日、絶命した。犯人は3日後、右翼組織「赤報隊」を名乗り、日本の通信社2社に「全ての朝日社員に死刑を言い渡す」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」という声明文を送った。犯人は今も捕まっていない。 2001年8月15日、朝日新聞は終戦の日に「歴史に対する責任」という社説を掲載した。「すべて天皇の名において『皇軍』への命令が下されたことを考えても、やはり天皇の戦争責任は免れない、というほかあるまい」とし、「国家の最高位にあった人物が責任を負わないで、どうして普通の臣民が自らを省みるか」というジョン・ダワー氏の言葉を引用している。天皇の戦争責任論は当時も今も日本社会でタブーになっている。 2005年3月27日、朝日新聞論説主幹だった若宮啓文
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