※一部修正(最終2023.5.15) ※これは私個人の感想で、発達障害者を代表する意見ではありません ※こちらの記事では内容に触れていますが、映画を否定し小説を擁護する意図はありません。三人称が押し付けざるを得ない「主人公の客観性」と当事者性との関係など、やはり原作にも考えるべき問題があると思っています。個人的には原作の一番の悪意は「新しいお母さん」であることかなと(元の題は『あたらしい娘』であったし発達障害には遺伝性もあると言われている)……しかしそれでも、映画化に際して「何故原作がこの設定になっているのか」よく考えていないような、演出や曲も含めて産みの母親を「あみ子を見守る大きな存在」と安易に意味付けしている点(原作が危うさの中でその質を保てているのは意味付けを拒否しているからだと思います)、また10年の月日の空きやある程度の批評が既に存在するという点(文芸の方がまだ慎重に議論されてい