[東京 4日] - 平成元年に当たる1989年は金融業界の壮大な「夢」が終わった年だ。当時は、「普通にサラリーマンをやっていたのでは都内には住めない」という焦りを抱えた人々が、新規公開株やマンション投資に殺到した。 不動産バブルがピークに達し、最も成績優秀な大学生は、官僚の次に、当時の日本興業銀行(IBJ)や富士銀行を目指した。どちらもその後、数奇な運命をたどり、みずほフィナンシャルグループとして生まれ変わっている。 当時、大手行の株価収益率(PER)は50─60倍まで上昇。1桁台だった大手米銀の水準をはるかに上回っていたが、それでも保有資産の含み益を考慮すれば、まだ割安と言われていた。銀行セクターの時価総額は一時期、東証全体の4割を占めるほどに膨らんだ。大規模増資を行っても事業成長のシグナルとみなされ、希薄化を招くにもかかわらず、株価を押し上げる要因となった。 そんな強気市場に魅せられた