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何が言いたいかというと、→の.@kanoseのコメントに激しく腹が立ってるんだけど、腹が立つのはそれが妥当であると考えてるからで、でも何故妥当と自分が考えるかが分からない、そのことが余計腹立たしさを増大させている、という話。http://t.co/FHfDAXdV
それに同意しているid:kanoseも同罪だ。id:kanose氏のような影響力がある人間がそうやって公然と僕を貶める発言をすることによって、いくら文章をまじめに書いてもまともに相手にされず内面を勝手に忖度するような批判ばかりになる。ほんっと、ムカつく!
ある程度名の売れた人が評価を下せば、その評価の内容なんか読まずにその評価が正しいと思う人は一定数出るわけで、そこら辺を見ないふりして責任を回避しようとするから、モヒカン族は嫌いなんだよ。
(愚痴)頼むからさー……鍵括弧付きで言葉を使ってる時は、その鍵括弧が特別な意味持っていることを前提において読んでくれないかなぁ……現代文読解の基礎じゃん……
個人的には50usersを超えたブックマークで多数派の流れに同調するだけのブコメを書くのは「はてな村的」ではないから、"最初の賛否両論"あたりこそがはてな村学級会だと思う
自戒を込めて思う(エチペ敷き)が、はるかぜちゃんについての議論がどうにも気持ち悪いものになってしまうのは何でだろう。他の議論においては割と開明的な議論が出来る人も、はるかぜに言及し始めると途端に加齢臭がするキモイおじさんになってしまうというか。
だとしたら、正論はひとまず置いておいて、システム的に、正しい人も正しくない人もみんなが幸せになる方法を模索した方が良いんではないだろうか。はてブの連中の様な「正しい人たち」だけでなく、そこで批判される、度胸と倫理観のない「間違った人たち」もふくめて、幸せになれるシステム。
僕は批判を多くする人間だよ。そして、だからこそ、他人の批判については真剣に心動かされるし、他人の批判が正しいと思ったときは自分の馬鹿さが頭にくる。人はそういう風に批判を真摯に受け止めると信じているからこそ、自分の批判が相手の意見を変える可能性を信じられる。
ネット上において誰かを多く批判したりする人が、批判に対する心構えとして「あんまり気にせず受け流せば良い」と言うのは、僕は全く理解できない。批判によって相手の心に影響を与え、相手の意見を変えようとするから、批判というものは行われるんじゃないの?
ので、改めてotsuneとの確執について説明する。まず事の発端は、otsuneが「モヒカン族」というような、公共的な議論や倫理の価値を一切否定するサイバーリバタリアン的立場を主張し、それに対して僕のほうが、「公共的な議論を通じて共通の倫理を考えていくべきだ」と反論したことに始まる
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