主にファンがこういう擁護をしていて、「人格はクソでも音楽はすばらしいから聞く」という主張をしているが、小山田圭吾の音楽を20年以上聴いている自分からするとそんな主張ははっきり言って欺瞞であるとわかる。 なぜなら小山田圭吾の音楽は未熟さが売りなのであって、幼年期の感覚を呼び戻すような音楽を一貫して作っており、それは彼の未熟な人格と直結していて、彼のファンはそれも含めてパッケージとして、彼の音楽を楽しんでいたはずだ。 小山田圭吾がメティアに出てくるときの振る舞いはずっと大人の責任から逃れ、大人としての成長を拒否するものであり、件のQJの記事もそれを補強するものでしかない。 その反省をしない悪童っぷりは紛れもなく一貫した彼の持ち味であり、それは彼が持つ音楽性とも不可分である。 彼の音楽性は未熟さを肯定し、むしろ称揚するもので、ファンはその心地よさを気に入っていたはずだ。 それゆえ彼の音楽を長く聴