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politicsに関するelmikaminoのブックマーク (2)

  • チェン・カイコー「私の紅衛兵時代」の読書会に参加した - mmpoloの日記

    読書会なるものに参加した。思うに50年ぶりだ。50年前は村の社会教育主事が青年団員を集めて「空想から科学へ」の読書会を企画したのに参加したことがある。その社会教育主事は「赤い」ということで左遷され、村の小中学校の図書館司書にされた。その後中央大学へ移り、後に教授になった。一度だけ議論をしたが、左翼の議論の仕方を知らされた。 さて今回はチェン・カイコー「私の紅衛兵時代」(講談社現代新書)だ。17年前に発行されてその後長く絶版だったが去年再刊された。懐かしいだ。六木にWAVEというセゾン系のCDショップをメインとしたビルができ、その地下にシネ・ヴィヴァンという映画館が作られた。なかなか意欲的なプログラムを企画してくれた。ゴダールの「パッション」、監督は忘れたが「コニヤスカッティ」、アラン・レネの「メロ」、タルコフスキーの「ノスタルジア」、ルイ・マルの「さよなら子供たち」、エリック・ロメール

    チェン・カイコー「私の紅衛兵時代」の読書会に参加した - mmpoloの日記
    elmikamino
    elmikamino 2007/12/05
    文化大革命
  • 大江健三郎『ピンチランナー調書』に鼓舞される - 横浜逍遙亭

    昭和34年の生まれの僕は、おそらく学生運動のクオリアを少しでも感知しうるというか、それなりに生の感触で記憶しているほぼ最後の世代に属していると言ってよいだろう。政治の季節が終わった今、学生運動を素材にしている文学作品は、仮に作品にメッセージの普遍性を秘めていたとしても、時代背景やそこで語られる政治的言辞の古めかしさ故に忘れ去られる存在なのか。それともそれなりに読まれていくのか。そこに興味がある。 大学に通った頃には、まだ党派の立て看板が構内で幅を利かせてはいたが、ヘルメットとタオル姿は風前の灯火といった状態で生き残っていたに過ぎなかった。文学は、政治運動が当時の若者、つまり僕の一世代上の人たちにとっていったいどんなものだったのかを想像するための教科書だった。別にそのために『されどわれらが日々』を読むということをしたわけではないのだが、小説を読んでいて頻繁に作品の素材として登場する"Only

    大江健三郎『ピンチランナー調書』に鼓舞される - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/01/20
    中山さんの大江健三郎論
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