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ブックマーク / taknakayama.hatenablog.com (52)

  • ゲルネを食うブレンデルのピアノ - 横浜逍遙亭

    シューベルトの『冬の旅』は、ピアノ伴奏を伴った(通例は)男声による歌曲集だが、伴奏であるはずのピアノが独唱と同等の存在感を最初から最後まで湛え、聴く者の耳を捉えて離さないという意味で、やはり特殊な音楽ではないかと思う。これは僕の新しい発見ではなくて、この曲が好きな人はおそらく皆そう感じているはず。であるが故に、と言ってしまってよいと思うのだが、普段は歌曲の伴奏になどまわらないスター・ピアニストが最近は多くの録音を残すようになっている。 今日聴いたマティアス・ゲルネが歌い、アルフレート・ブレンデルがピアノを弾く盤を聴いて、(また、いま二度目の視聴を繰り返しながらこれを書いているのだが、)あらためてこの曲がピアノのための歌曲であることを痛感させられた。 マティアス・ゲルネは去年の秋に東京でもシューベルト三大歌曲のリサイタルを開いていたドイツの人気バリトン歌手である。このCDでは、その深々とした

    ゲルネを食うブレンデルのピアノ - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2008/04/01
    シューベルト:冬の旅、ブレンデル
  • キッザニアの行列に圧倒される - 横浜逍遙亭

    「キッザニア」をご存知だろうか。昨年の秋、東京は江東区豊洲に開業した子供向けの職業体験テーマパークである。開業早々大人気で、数ヶ月後まで予約がいっぱいで入れないという信じられないような活況を呈している。昨日たまたまそのそばを通り、入場を待つ子供たちと親御さんが長蛇の列をなしているのを見た。つづら折りにしつらえられた待機スペースには収まりきらず、施設が入っているららぽーと豊洲の一般通路まで小学生と母親たちの列が溢れだしている。隣にある書店にいったときにこの光景にぶつかったのだが、書店の前を地べたに座って並ぶ親子の列がずっと続いて向こうの方まで続いている。もしかしたら100メートルになるかもしれない。子供たちとお母さんたちのつくりだす喧噪と熱気にたじろがされた。 その列を見ながら考えるところがあった。仕事の話だ。僕は長いことマーケティング調査の仕事をしていた。ある特定のフィールド、ある種の情報

    キッザニアの行列に圧倒される - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/12/05
    キッザニア
  • 『harabou's blog』に読む中国の今 - 横浜逍遙亭

    「Chinaの方の中国の片田舎で、日系企業の駐在員をやっています」とお書きになっているharabouさんのブログは、ただの一度も中国に足を踏み入れたことのない僕にとっては、多面的な世界の成り立ちようを教えてくれる貴重な窓のようなものだ。次のエントリーで紹介されている交通事故の話など、それが日常の光景なのかと思うと、ただただ驚くばかり。なんと言ってよいのか、二の句が継げない感じ。 ■中国の道徳状況(『harabou's blog』2007年11月23日) 孔子様が聞いたら卒倒しそうな話だが、少なくとも、だから中国は駄目なんだといった類の反応をしてしまうと、この先はない。しかし駄目だろうが、嫌いだろうが、そういう現実がこの地球のどこかに確実にあって、そのなかで適応しつつ生きていくことをしている人たちがおり、少なくとも産業経済の側面では彼らと僕はとても深いつながりを持っているのが事実なのだ。だか

    『harabou's blog』に読む中国の今 - 横浜逍遙亭
  • 「ブルックナーの5番はどの録音がよいか」補筆 - 横浜逍遙亭

    書き足りなかったことを少し付け加えておきます。 ブルックナーの5番は4番、7番、8番あたりと比べると実演で取り上げられる頻度は低いですから、そもそもそれほど熱心にコンサートに通わない僕の場合実演で聴いた回数には限りがあります。数えてみたらたったの4回でした。ですが、聴くたびに「よい曲だなあ」という思いは募る、相性のよい曲でもあります。 最初に実演を聴いたのはドホナーニ指揮のクリーブランド管弦楽団。鋼でできたようなブルックナーでした。録音で聴けるのも同じ解釈の演奏です。次がおそらくアバド指揮のベルリン・フィル。私が聴いたのはニューヨークのカーネギーホールですが、その後すぐに東京で同じ演目をこのコンビで演奏したはずなので、お聴きになった方もいるのではないかと思います。これは「でかい音だせばいいのか。コラールを強烈に繰り返すだけでいいのか」と言いたくなるがっかりの演奏でしたけど。 次がミュンヘン

    「ブルックナーの5番はどの録音がよいか」補筆 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/12/05
    ブルックナーの5番
  • ブルックナー交響曲第5番はどの録音がよいか - 横浜逍遙亭

    今日はクラシック音楽おたく以外の方にはどうしようもなくつまらないネタになりますが、お許しください。知り合いのK氏から「ブルックナーの交響曲第5番の録音は何がいい?」とメールが入っていました。浅薄な知識しかないし、そもそも人の好き嫌いは偏っているもの、どこまで信じて頂いていいのか分かりませんが、この曲、個人的に大好きですので私なりのお勧めをさせて頂きます。 K氏は「最初にショルティで聴いて、次にクナッパーツブッシュで聴いたらまるで違う曲かと思った」とおっしゃっているのですが、これはまさにおっしゃるとおりで、半分別ものです。有名な話ですが、ブルックナーは生前“改訂魔”として知られており、多くの曲を何度も書き直しをしています。この曲の場合は人の筆ではなく、お弟子さんの指揮者、フランツ・シャルクが初演を行った際に大幅に筆を入れた結果、ブルックナーのスコアとはまったく違ったものが出来上がってしまい

    ブルックナー交響曲第5番はどの録音がよいか - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/12/05
    ブルックナー交響曲第5番
  • 前? 次? - 横浜逍遙亭

    ブログを読んでいて、ページをめくろうとするときにはたと一瞬考えるんです。どっちをクリックしたらいいんだっけと。ブログにくっついている「前のページ」「次のページ」というリンクのサインのことです。 「前」というのは、時間的に前、だから古いエントリーの方向に飛ぶのだろうと思ってクリックすると、あに図らんや、新しい紙が上にどんどん溜まっていくことをメタファーに採用しているらしく、「前」は時間的に新しい方向へ移動するのでした。紙が重なって置いてある。その前の方という意味合いですね。中年になると、こういうことをなかなか覚えられない。そこで毎度クリックして確かめることが続く。なんだか情けない、歳をとるのは嫌だなとこういうときに感じます。 と最近まで思っていたのでした。ところが昨日初めて分かったのです。プロバイダーによって言葉の使い方が逆さまなのだということに。 「はてな日記」は、私が解釈したように「前の

    前? 次? - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/11/11
    情報デザイン、インターフェイス
  • 『アサッテの人』 - 横浜逍遙亭

    昨日、「若手の小説を読んだけれど面白くなかった」と書いた。書いたエントリーの煮え切れなさに書いた人が嫌気をさした。それはないだろう、その言い方は卑怯だろうと思い直し、やはり肯定的な、元気の出る文章にはならないけれど、そこまで書いたのなら続きはちゃんと書いておこうと思った。それで今日のエントリーである。 読んだのは文藝春秋に掲載された芥川賞受賞作、諏訪哲史『アサッテの人』。この作品は、失踪した厭人癖のある叔父をモデルにした小説を書こうとする「私」の手記という形式をとっている。「私」が書いた最終稿の冒頭、それに続く「私」のモノローグ、6年前に書いたとされる、叔父の奥さんの語りをまねた第一稿の断片、モノローグ、第一稿、叔父の日記、モノローグ、叔父の日記、モノローグという風に、肌合いを異にするテキストをパッチワークのように組み合わせることによって、小説は視点と流れる空気を微妙に取り替えながら進行

    『アサッテの人』 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/08/18
    「文章に表現する「私」の体験」の欠落
  • 写真ブログは難しい - 横浜逍遙亭

    自分の下手な写真を棚に上げてのコメントになるのですが、写真ブログでブログの楽しさを実感するのは簡単ではないなと実感しています。 今年になってこのブログの兄弟サイトとして『横浜逍遙亭・写真帳』を立ち上げました。文字による読み物と写真とが混在するのはお互いがお互いを打ち消し合うマイナスの効果があるように感じられたのと、「はてな」が写真の扱いにはあまり力を入れていない(それは写真は重たいと思います)ので、他のブログを試してみる興味も手伝ってgooブログに『写真帳』を作ってみたのでした。 やり始めて3ヶ月が経ち、4ヶ月が経ちとなるにつれてそれなりの感想が形を成してきたのですが、あらためてブログの楽しさの大きな部分はどこかにいる誰かと知り合う楽しさだと痛感している次第です。gooブログで有料サービスに加入し、アクセス状況を確認できるようにしてみたのですが、来ていただいているお客さんはユニーク・アクセ

    写真ブログは難しい - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/05/31
    写真ブログ。テキストと画像の問題。
  • イーゼンハイムの祭壇画 - 横浜逍遙亭

    水曜日に自由時間が出来たので、上野で開催しているレオナルド・ダ=ヴィンチの展覧会、「受胎告知」が来ているやつに行こうかとふいに思い立った。東京駅まで行ったのだが、そこでいや、平日の3時とはいえどうせ大勢の人がいるに違いないと思い始めるとたちまち億劫になってやめてしまった。二十代ならこういうときに気持ちが萎えるなんてことはなかったのに、いったん気持ちが凹になってしまうとレオナルドを見なければ損だという気持ちにもならない。若い頃は絵が好きだったのに。 学生の頃、生まれて初めてバックパックを背負って欧州を貧乏旅行したときに「イーゼンハイムの祭壇画」を見にフランスのコルマールに行った。パリはフランス語が一言も出来ない東洋人の学生には冷たかったが、フランスの田舎は人が優しかった。道に迷いそうになり、行きずりの人に「ウンターデンリンデン美術館」と言ったら、片言のドイツ語で親切に教えてくれた。そんな記憶

    イーゼンハイムの祭壇画 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/05/27
    北方ルネサンスの暗さ
  • 『フューチャリスト宣言』を読む - 横浜逍遙亭

    発売された日の夕刻、会社帰りに有楽町の三省堂で購入した。 大学生の馬鹿息子に茂木健一郎さんの「クオリア日記」の存在を教えてあげたら、けっこう熱心に読んでいるようで、ごく希にではあるが「あの話読んだ?」などという会話が成立するのは親としてはいろいろな意味で嬉しい限りだ。『フューチャリスト宣言』も近いうちに息子に渡そうと思っている。若者を鼓舞する書物として、今をときめく茂木健一郎さん、梅田望夫さんの対談の価値は小さくないと私は率直に思う。 このは「天は自ら助くる者を助く」の気概に満ちあふれている。時代は明治か、と一瞬周りを見回したくなるようなメタファー満載である。茂木さんや梅田さんの名前に惹かれて書を手に取る若者たちも、多かれ少なかれ、最初からそうした思想に共感できる資質を持ち合わせている人たちであるはずだ。うちの大学生もそうであって欲しいし、たぶん彼なりに身の丈に応じた前向きの影響を受

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  • E-410は魅力的なカメラだ - 横浜逍遙亭

    先日、ニコンのD40やD40Xに興味があると書いたが、4月下旬に出たオリンパスのE-410を店頭でさわってみて、実に指が動くお散歩カメラであることを実感した。ボディが400g以下で現行のデジタル一眼レフの中では飛び抜けて小さい。僕の撮るのは風景スナップだから、小さいカメラはそれだけで魅力的に映る。実物をさわってみると、フォーサーズ・システムの恩恵はあらたか。シャッターの軽さもいい。このカメラは絶対に売れる。ブームを作るかもしれない。 http://olympus-esystem.jp/products/e410/ 今すぐどれかを選びなさいと言われたら、D40やD40Xとの間で大いに悩むことになりそう。E-410を握った後では、D40がやけに不細工に見えてしまう。ただE-410にもここはちょっとどうかなと思ってしまうところがあって、僕にとってはこの辺りを気にしないで使えるかどうかが判断のポ

    E-410は魅力的なカメラだ - 横浜逍遙亭
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    elmikamino 2007/05/08
    デジタル一眼レフの「進化」
  • オールド・スポート - 横浜逍遙亭

    村上春樹が『グレート・ギャツビー』の後書きの中で「old sport」に対するこだわりを紹介している。この「old sport」というのは、物語の中で主人公のギャツビーが使う口癖で、話し相手に対して親愛の情を表現する決まり文句で、「わたしにとって大事なあなた」みたいなニュアンスなのだろうか。何かひとこと言うたびに、言葉の最後に「old sport」と言わないとギャツビーは気が済まない。しかし、この言葉はこのお話が書かれた当時のアメリカでも普通に使われていた言葉ではなく、敵役はギャツビーがこの言い回しを使うことに端的ないらだちを表現する。ギャツビーは以前滞在した英国でこの表現を身につけたらしいということになっている。 20年来『ギャツビー』の翻訳を遠い目標として狙っていた村上さんは、ずっとこの一語をどう訳すかに頭を悩ませてきた。その結果、『グレート・ギャツビー』では最終的に「オールド・スポー

    オールド・スポート - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/04/23
    村上春樹
  • いまだに一部の運動部にはいじめか - 横浜逍遙亭

    勤めから帰宅したら、末の息子が開口一番言った。 「B校の2年生、いじめひどいって。3年生はみんな優しいけど、2年生は新入生をいじめるのを楽しみにしているようなのばっかだってさ」 息子の野球友達のA君が甲子園にも出場したB校の野球部に入部して三日目だ。入学式がまだ行われていないのに、4月の声が聞こえたとたんに朝の9時から夜の8時まで練習というのも尋常ではないと思ったが、その上に希望に燃えて入ってきた新入生につらく当たる子供たちがいるのがエリート高校野球部の正体だと思うと、大いにしらける。運動部は昔からそういうもの、多かれ少なかれ理不尽なものと相場が決まっていたが、いまだに何にも変わっていないらしい。1年の学年の違いで権力が発生し、それが陰湿に濫用される。 息子が「いじめ」という言葉を使ったその実態が何なのか、どんな意地悪が行われているのかは直接聞いていない。だから、実態はたいした話じゃないの

    いまだに一部の運動部にはいじめか - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/04/05
    個人と組織、日本、学校
  • 大企業に勤める - 横浜逍遙亭

    今日は別のことを書こうと思ってパソコンを開いたのだが、梅田望夫さんの一文がとても面白かったので、その尻馬に乗ってしまうことにする。 ■「好きを貫く」ことと大企業への就職 私事を書かせていただくと、僕の場合は「人と一緒に」が嫌いな質なもので大企業への就職はこれっぽっちも考えなかった。かなり変わり者に見られたし、実際変わり者だった。先輩、そのまた先輩と、そのまたまた先輩がうじゃうじゃとヒエラルキーを作っているなかで生きていくなどということは恐ろしくて恐ろしくて考えてみるだけで総毛立った。今思えば、誘ってもらったいくつかの雑誌屋さんにおとなしく入っておけば、けっこう「好き」を貫けたかもしれなかったが、その耐性もない精神的虚弱体質だった。 そこで、短期間のフリーターを経て誰も見向きもしないような財団法人に入ったのだが、かえって小さい組織の方が先輩面する奴らの影響力が大きく居心地が悪いことを身をもっ

    大企業に勤める - 横浜逍遙亭
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    elmikamino 2007/04/05
    個人と組織、中山さんのサバイバル
  • 中華街の魅力 - 横浜逍遙亭

    月に一度ほど、気分転換と運動不足解消を兼ねて、横浜の港まで片道ほぼ1時間のサイクリングに出かけるのが楽しみの一つになっている。お昼を挟むようであれば、まず十中八九、行き先は中華街。原色で飾られ賑やかさに沸き立つ街に引き寄せられる理由は、おいしい料理のせいばかりではない。そこは日の日常から、ほんのちょっとだけだけれど逸脱する感覚を味わうことができる貴重な異次元空間だ。 別にこれといった何があるわけではない。ただ、そこには日人ではない人々が暮らしており、お昼ご飯の間に日の他の場所にはない何かを感じ取ることができる。こちらにその余裕がなければならないのは言うまでもないけれど。 一人で行けば訪れるのは「馬さんの店 龍仙」。600円でばかでかいスープと一品料理、ご飯とデザートの杏仁豆腐が付いてくる。店の外にはいつも名物おじいちゃんが椅子に腰掛け、「いらっしゃい」「どうもありがと」と声をかけてい

    中華街の魅力 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/03/09
    それが僕には理解できない言葉なのがとても素敵だ。
  • 「球体写真二元論: 細江英公の世界」 - 横浜逍遙亭

    僕はアートとしての写真の知識はほとんど持ち合わせていない写真のド素人である。だから、細江英公という人が国際的にはもっとも名の知られた日の写真家なのだと聞いて、へえ、そうなんだと思った。三島由紀夫をモデルにした写真集『薔薇刑』は三島の話を読むと出てくる名前だし、どこかでちらと画を見たことがあったが、その『薔薇刑』を撮ったのが若き日の細江英公さんなのだ。そんなことも知らない僕が東京都写真美術館で開催していた「「球体写真二元論: 細江英公の世界」展」を見てきた。実際に足を運んだのは12月末のこと。展覧会は昨日で終わってしまった。もう少し早く書いた方がよかったかも知れない。 ■「「球体写真二元論: 細江英公の世界」展」 作者に対しても、その作品に対してもその程度の知識しかないし、まったく先入観がない。期待もなければ、いじわるく観てやろうという気持ちもない。だいたい写真を観るときはいつもそうだ。だ

    「球体写真二元論: 細江英公の世界」 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/01/30
    細江英公 演出
  • 『メディア・コンバージェンス2007』 - 横浜逍遙亭

    アウトロジックの杉幸太郎さんが著者の一人として名を連ねる『メディア・コンバージェンス2007』が出版された。 我が国のICT産業の動きを報告する産業動向もの。視点は産業・ビジネスの側面に置かれており、技術の進歩がもたらす情報通信産業の変動を表題のとおり"コンバージェンス'(融合)"というキーワードに即して描き出すことを意図している。 メディア・コンバージェンス2007 作者: 篠崎彰彦,情報通信総合研究所出版社/メーカー: 翔泳社発売日: 2007/01/17メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (17件) を見る 同書では記述の対象とする産業の広がりを"情報ネットワーク産業"という造語で規定する。この言葉の中に含まれているのは3つの産業分野、すなわち「情報・コンテンツ・サービス」「ネットワーク」「端末・情報機器」だ。 そもそも「融合」という用語がこの世界で語られる契機

    『メディア・コンバージェンス2007』 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/01/25
    『メディア・コンバージェンス2007』
  • 大江健三郎『ピンチランナー調書』に鼓舞される - 横浜逍遙亭

    昭和34年の生まれの僕は、おそらく学生運動のクオリアを少しでも感知しうるというか、それなりに生の感触で記憶しているほぼ最後の世代に属していると言ってよいだろう。政治の季節が終わった今、学生運動を素材にしている文学作品は、仮に作品にメッセージの普遍性を秘めていたとしても、時代背景やそこで語られる政治的言辞の古めかしさ故に忘れ去られる存在なのか。それともそれなりに読まれていくのか。そこに興味がある。 大学に通った頃には、まだ党派の立て看板が構内で幅を利かせてはいたが、ヘルメットとタオル姿は風前の灯火といった状態で生き残っていたに過ぎなかった。文学は、政治運動が当時の若者、つまり僕の一世代上の人たちにとっていったいどんなものだったのかを想像するための教科書だった。別にそのために『されどわれらが日々』を読むということをしたわけではないのだが、小説を読んでいて頻繁に作品の素材として登場する"Only

    大江健三郎『ピンチランナー調書』に鼓舞される - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/01/20
    中山さんの大江健三郎論
  • 村上春樹、『大公トリオ』 - 横浜逍遙亭

    村上春樹の音楽エッセイ『意味がなければスイングはない』がものすごく面白かったという話を以前書いたが、これも別の日に書いたとおり、僕が彼の小説にのめり込むように読んだのは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』か『ダンス・ダンス・ダンス』までで、その後の春樹さんは、よくわかんない対象である。芸をきわめようとしているのは分かるが、彼にとって意味のある芸事が、こちらには全然どうでもよいことのように感じられ、いったい何がきわまっているのかがよく分からない。 生まれて二冊目の春樹ノベルとして『海辺のカフカ』を読んだ三十半ばの友人が、「それなりに面白かったが、なんだか気持ち悪い」という感想をブログに書いているのを読んだ。その気持ちは分かる。友人は、例えば15歳の主人公があんな大人びた発想をするだろうかという感想を、彼が感じた気持ち悪さの一つの例として挙げているのだが、それこそ春樹さんの突き進む芸

    村上春樹、『大公トリオ』 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/01/16
    中山さんの音楽から切る村上春樹論。「大公トリオ」。スーク・トリオ、ボザール・トリオ、アリスタ・トリオ、古楽器のインマゼール=ビルスマ、カザルス・トリオ。
  • 残照四題 - 横浜逍遙亭

    昨日、我が家の裏山で。陽が落ちる間際の冬の光景です。

    残照四題 - 横浜逍遙亭
    elmikamino
    elmikamino 2007/01/08
    見事。