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ブックマーク / blog.livedoor.jp/mansaku21 (1)

  • Q.東軍による戦後処理で、西軍武将はどうなったか? : 関ヶ原ブログ

    ブログネタ:戦国時代 に参加中! 合戦の勝者である東軍には、当然西軍武将を裁く権利が与えられます。東軍の総大将は徳川家康で、東軍の諸将もこれに従っていたので、徳川家康が西軍の処分を下しました。 家康は、関ヶ原の合戦を自身の天下取りへの節目の戦と見ていたらしく、この合戦で家康に抵抗する勢力は完全に力を失いました。 A。一家のみ領安堵、四家が減封、八十八家が改易。 徳川家康による関ヶ原合戦の戦後処理は、西軍に味方した武将については、容赦なく改易の嵐が吹き荒れています。改易された88家については、後日、氏名と封地名、石高を別途挙げますので、そちらを参照してください。 減封の4家は秋田実季、上杉景勝、佐竹義宣、毛利輝元です。 秋田、佐竹は東西どっちにつくかはっきりしなかったための減封。 上杉、毛利は西軍に与したためですが、毛利輝元は戦後の態度と、吉川広家の奔走が功を奏したか、当初広家に与えられる

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