日本政府が中国への政府開発援助(ODA)の終わりを宣言した。40年近く合計3兆6千億円の公費の投入は日本になにをもたらしたのか。その軌跡を総括すると、戦後の日本の対外政策でも最大級の失敗といえる全体像が浮かびあがる。日本側の意図とその結果との断層があまりに巨大なのだ。(古森義久ワシントン駐在客員特派員) 1998年秋に産経新聞初代中国総局長として北京に赴任して、日本の対中政策の最大支柱だったODA供与の中国側の実態を知ったときはショックだった。日本側が官民あげて日中友好への祈りをもこめて供した巨額の血税はなんの認知もされていなかったからだ。 日本からの経済援助は中国側の官営メディアは一切、伝えない。だから一般国民もまったく知らない。北京国際空港ビル、北京地下鉄2号線、南京母子保健センターなど、みな日本からの巨額のODAで建設されたのに開設式の祝辞や碑文にも日本の名はなかった。 日本から中国