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ブックマーク / nakaii.hatenablog.com (2)

  • 川端康成の本当 - 翻訳論その他

    続きです。 川端康成の「十六歳の日記」作中日記部分には発表時たんなる字句の訂正を超えた加筆訂正があったのではないか。川嶋至がそう問うたのは、すでに見たように『川端康成の世界』の中である。川嶋はそこで複数の論拠を挙げて、その証明を試みている。しかし、第二章「宿命の影」の該当箇所で川嶋の論証を読み始めた者は、すぐに落ち着かない気分に捕われるはずだ。川嶋の論証が、論証として、妥当性を欠いているように思えるからである。 たとえば、一番目に示された論拠。これは、九巻選集の「あとがき」ならびに十六巻全集の「あとがき」(後年「あとがきの二」となるもの)に「机代りの背継(踏台)」を用いて日記を書いたとあるのに、作中日記部分ではそれが「抽出し」付きの「テーブル」となっているという指摘である。この事実を受けて川嶋が言うには、「二度まで氏が机ではなかったとしるしている以上、それを信ずるとすれば、この日記には

    川端康成の本当 - 翻訳論その他
  • 川端康成の嘘 - 翻訳論その他

    川端康成が自身の翻訳観・日語観を披歴した文章に「鳶の舞う西空」という随筆があって、精読したことがある。「『源氏物語』の作者に『紫式部日記』があった方がよいのか、なかった方がよいのか。なくてもよかった、むしろなければよかったと、私は思う時もある」という書き出しのこの随筆は、最初のほう「源氏物語」の英訳や日古典の現代語訳について取り留めのない話をしているけれど、半ばあたりでおもむろに「川嶋至」という名前を出し、そこから先、この人への反論となる。どうやら翻訳の話は枕にすぎなくて、反論が題であるようだ。川嶋至は知らない名前だったので、精読の一環として軽い気持ちで調べ始めたら、とまらなくなった。それで結局、国会図書館まで行くはめになった。もう十年くらい前の話になるけれども。 いま小谷野敦『川端康成伝 双面の人』を読んでいるのだが、読み始めてすぐ、この人の名前が出てきた。引用させてもらう。「川端

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