マッピングできる人の方かよorz
vというとヴィジュアル系と思うけど今違うんだよな vtuberのvがなんなのかも既に思い出せない
ラノベとは一体何か、の定義論が2021年ですらいつまで経っても定まらないが 原因はレーベル論以外の定義が全て無限の例外判定処理が必要なクソ理論ばかりなせいで 議論が一向に収束しないせいだ。 無限の例外判定処理が必要な時点で定義論として論外すぎる。 アニメ的な挿絵がある 集英社が人間失格に小畑 健氏が挿絵を描いたりと、一般的な文庫にもイラストが普通に使われたりする現代ではとても実用に耐えない。 逆にイラストのないラノベも当然ある。 15年前くらいまでしか使えないクソ定義。 ・文章の内容がなんたらかんたら 会話が多いだの、描写が多いだの主観的すぎてあいまいな話もそうだが、 当然、一般小説でも純文学でも作風として使用してくる人間はいくらでも出てくるし、 一般小説的な文体でラノベとして売る例もいくらでも存在する。 筒井康隆はラノベとか一生言ってろ。 内容派 もっともらしいことを言っているが、実のと
シャドーハウス原作改変したことでアニメ版を見た身からも途中が飛んだことがはっきりわかる印象に。 ラムは可愛い。 ゴジラS.P<シンギュラポイント>ハードSFらしいかったるい説明と、学者だけで全て済ませてしまう展開はどっかの小説で見た印象。小説家が脚本を描くとSFを使ったサスペンスに終止してエンタメを考えない悪例として刻まれたと思う。基本有川と銘だけが事件を解決してゆく形式で、ほかがおまけ、という雑な配分もハードSF小説くさくて正直ある意味では小説の作法を無視しまくってる。都合の良い狂言回しの人間を使い捨てて無駄に字数を増やすのがハードSFの作法に見えて仕方がない。加藤侍とかいらんでしょ、狂言回しにすらなってないし。SFの解説をサスペンスに仕立て上げる、という手法は古典SFで見られる手法だけども、映像分野に合わないんですよ。ずーっと地味なやり取りが続くだけだから。 ゴジラじゃなくても成立した
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