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テレビとアゴラに関するenoki0123のブックマーク (2)

  • グルーポンの正月おせちに思う

    一般の人は此の件どう見てるのだろうか?推測するにグルーポンにある程度の理解があり、ある種の危惧は感じながらも好意的に観ている者に取っては「やっぱりな!」と言う事だろうし、悪意、色眼鏡で観ている者は「それ見た事か!」と言う事だろうと思う。ITに拠り従来不可能であったビジネスが可能に成るのは頭では理解しているものの、供給サイドから観れば商流が変わるだけの事で、来@1万円で売るべきを@5千円で売り、しかも半分の@2,500円をグルーポンに上納すると言う仕組みに抵抗があるし、ある種危うさを感じる訳である。 そえにしても来@1万円の売上が無ければ成らない所、@2,500円でも採算が取れると言うのは一体どう言う事なのか?一番判り易い例は、利益率が高いと言う事だが競合商品がある場合は実質不可能である。 技術的に可能なのはダミーで競合他社を作り、価格サイトに登録すると言うものだが此れは明らかに「景品表

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  • テレビの終わりの始まり

    年末年始は、まったくテレビを見なかった。たまに数分つけると、どの局も晴れ着の芸能人が出てきて楽屋落ちで騒いでいる。この極端な白痴化の原因は、広告収入の落ち込みだ。先日ある放送業界のシンポジウムで民放の人々に聞かされたのは、コスト節約圧力の強さだった。「数字を取るのは簡単なんですよ」と、あるディレクターは言った。「プライドを捨てればいいんだから」。 テレビの視聴者は1000万人単位なので、何が受けるかは出す側にはわからない。こういう場合、なるべくレベルの低い視聴者をねらうのがコツだ。NHKの場合は、池上彰さんのように超初歩的なことから解説する。民放もそれに気づいたらしく、この年末年始は池上さんが引っ張りだこだった。彼が悪いといっているのではない。テレビの平均視聴者は「こどもニュース」ぐらいなのだ。 民放の場合は、日テレビの土屋敏男さんのいうように「馬鹿にどう見せるか」を考える。コストを節約

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