詩人石原吉郎が舞鶴の港に降りた時、日本人皆の戦争責任を自分はこの身体で果たして来たという自負があった。だが出迎えた知人の「露助なんかに捕まりやがってこのドジが」という言葉に戦後の日本に深く絶望したとか

tatage21tatage21 のブックマーク 2013/08/09 06:28

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「シベリア日本人抑留」語り継げるのか 基金解散、慰霊祭中止へ…+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

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