仏教的には、命は生まれて生きて死ぬ、それ以上を求めるのは欲であり煩悩らしい。死んだ蝉は世界に何かを残そうとしたのか、というと、実は別にそんなこともない。理屈は判りつつも、今も煩悩と傲慢の中にいる。

santosanto のブックマーク 2019/01/26 10:42

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