【高校時代は「その他大勢」】 仙台育英に憧れ、1999年に埼玉県から単身で仙台にやってきた須江航は高校時代、公式戦はおろか練習試合にも出た経験がない。プレーヤーとして活躍できなかったという事実は永遠に変えられないが、それでも高校時代を「最高の3年間だったと思っています」と振り返る。 しかし、「選手として」という視点で語れることは多くない。 「高校では完全に補欠でした。自分でもなかなかの補欠っぷりだったと思います」 『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)の中で、須江はそう語っている。 チームに改革をもたらした仙台育英の須江航監督 宮城県内だけでなく、県外、東北以外からも有望選手が入学する強豪校で生き残ることは簡単ではない。中学時代の実績、体の大きさ、身体能力をシビアに判定されて、レギュラーが狙える選手か「その他大勢」に振り分けられる。須江は「その他大勢」に振り