少年ジャンプ+で隔週連載した『エルフ夫とドワーフ嫁』 小さい子供がいてどのように連載を乗り切ったかのエッセイ漫画です。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。 ※本日記は『セクシー田中さん』の件とは関係ありません。 働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。 イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマン
ブルスカじゃないよ。ブルスコだよ。 日本人の例ではあるが最初に移動が進んだのはアニオタというよりはプログラマー周辺だった。流石あいつらはTwitterも一番乗りだったのを思い出す。 そのあとライターをしていたり、その取り巻きだったりが増えた。 作家などの知識層や知識層(笑)がゆるく呟いてた感じ。 クラブハウスよりは少し若いんだろうかくらいの年齢層が目立っていた。 でも全く活性化できておらずブログ化。またはアカウントとるだけの人たちがほとんど。 活用できてない感じ。 Xが表、Blueskyが愚痴垢みたいな爺さん婆さんも目立っていた。 で、Blueskyが招待を増やしたときにそれ以外の人にも広がっていきオタク流入が比較的最近始まった。 オタクが来たので色々と流れが生まれ、プログラマーの作ったフィードも活用されるようになった。 俳句とキノコが人気になった(やればわかる) そして先日の招待制廃止で
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