今日はあんまり時事・政治とかとは関係のない話をします。 「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」と本能寺と井戸の茶碗とすごい九州国立博物館の話です。 本能寺の変で、明智光秀によって織田信長が殺された、ってのはみんな知っているとは思いますが、なんで信長は、少数の護衛しかつけないで本能寺にその時いたのか、という理由は、知らない人もいるかも知れないのでちょっと話してみます。 実は、前日の「天正10年6月1日(1582年6月21日)」に、本能寺で茶会がおこなわれ、それに信長はどうしても出席しなければならない理由があったのです。 で、その理由とは、博多商人の嶋井宗室(しまいそうしつ)が持っていたという伝説の「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」、なんですね。 →三宅孝太郎のラジオ出演2 吉田:えー、それで、明智光秀の謀反によって、本能寺で自害をする信長についてですが。信長が本能寺にいたのは、実はお茶会を開くためだ