1994年 秋 はじまりは、プロ野球ドラフト会議。「ほぼ幹事の田中宏和」が、近鉄バッファローズの第一位指名 田中宏和(奈良県桜井商業高校3年の投手)と知り、衝撃を受ける。昭和の野球漫画を愛し、日本人選手がいない頃から大リーグに憧れていた身としては、伊東(パンチョ)一雄さんから「第一位指名 田中宏和」と朗々と読み上げられることは、生涯の夢。たまたま「田中宏和」という同じ名前を持つ、野球がすごくよくできる他人のおかげで、25歳にして叶えられる。この不意打ちの僥倖を面白がり、「近鉄一位指名の田中宏和さん」を年賀状の題材にしたことから、同姓同名の追究が開始された。 1995年 元旦 「ほぼ幹事の田中宏和」が、田中宏和ネタ年賀状をはじめて発送する。 1995年 1月 「ほぼ幹事の田中宏和」が、なにげなく買い求めた文芸誌『文学界』(文藝春秋)新年号の書籍広告にて、『文芸読本』を上梓した田中宏和さんの存
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