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*月刊宝島に関するetto_01のブックマーク (1)

  • 41歳で全て失ったライターが遂げた超復活劇

    当時、中島らもは雑誌『宝島』(宝島社)で『啓蒙かまぼこ新聞』というカネテツデリカフーズのシリーズ広告を手掛けていた。従来の広告手法とはまるで違う前代未聞な内容に、当時の若者は度肝を抜かれた。 「僕も中島らもみたいに生きたいって思いました。そこで素直に中島らもの職業であるコピーライターを目指せばいいんですけど、そうはいかなかったんです。中島らもが歩んだ人生を順番にたどろうと思いました」 中島らもの著作に、氏が印刷会社の営業マンとして働いていたというくだりがあった。それを読んで、 「じゃあ俺も印刷会社の営業マンになろう」と思った。 就職活動の結果、無事、印刷会社に採用が決定した。だが大学を留年してしまった。しかし幸運なことに不採用にはならず、大学に通いながら会社に勤めることになった。 『花形文化通信』というフリーペーパーが作られることになり、印刷の営業に行った。しかし、そこで大失敗をしてしまっ

    41歳で全て失ったライターが遂げた超復活劇
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