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ブックマーク / www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp (1)

  • 伝えたいふるさとの100話

    日清戦争が終わって下関条約(しものせきじょうやく)が結ばれた明治二十八年(一八九五年)、熊県泗水村(しすいむら)(現在の熊県菊池郡泗水町(きくちぐんしすいまち))出身で二十五歳の増田敬太郎(ますだけいたろう)は、警察官になる夢を抱いて佐賀県警察学校に入りました。 増田青年は、三ヵ月ほどかかる教習課程(きょうしゅうかてい)をわずか一〇日間で習得するなど優秀な成績で卒業し、佐賀県唐津(からつ)警察署に配属を命じられました。 当時の日は伝染病であるコレラが各地で流行していましたが、この年は恐ろしいほどの広がりを見せた年でした。佐賀県東松浦郡入野村高串地区(ひがしまつうらぐんいりのむらたかくしちく)(現在の肥前町(ひぜんちょう))も例外ではなく、コレラが猛威(もうい)を振るっていました。しかし、この当時高串地区にいた駐在巡査(ちゅうざいじゅんさ)は病気がちで、村人たちを助けることができず

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