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ブックマーク / jrf.cocolog-nifty.com (1)

  • 文化祭と著作権の問題から私的翻案を考える [ JRF の私見:税・経済・法 ]

    何かを誰かに表現する。そこには不安があり羞恥心があり高揚感がある。多くの人が賞賛する夢を見ても、多くの人に知ってもらいたいと思うのはずっと先のことだ。踏み出せる小さな一歩を確実に前にすすむ。誰かの言ってることなど気にしない、というのは嘘だけど、自分の表現したいことにせいいっぱいでありたい。 人は人を私的な領域に圧し込めることがあった。そこでしか表現できないものがあるように人を追い込んだ。誰かに評されることを期待してはならない。ただ正しく伝えること、そこに思いを込めるのだ。伝えられることを喜んではならない。聞いているということがリスクなのだ。許すな、想像力の込もった表現を。それが彼の出所を示し、怨讐の炎が彼を焼き尽くすことがないように。 表現を私的なものに留める理由には正当なものがある。だが、現在、その理由は幸運なことにコンプレックスでしかないだろう。まぁ、それはできるだけ個人が克服していく

    ex_hmmt
    ex_hmmt 2007/11/13
    あー、おおむね賛同。いくつかの差異はあるけれど、今度書こうと思ってた事がおおむねざっくり書かれてる。
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