自意識チャリンカー(自意識自転車操業)。 俺をみてくれ俺を承認してくれ俺をスゴイと言ってくれ、という感覚は、多かれ少なかれ誰もが持っているものだろう。自己承認なり、自意識の備給なりといったものは、架空の聖人君子でもない限りは多分幾らかはあるに違いないものなわけで、追い求めること自体はさしていけないことでもあるまい。 しかし、こうした自己承認や自意識の備給を自転車操業せずにはいられない自意識チャリンカー達においてはどうだろうか。自己承認や自意識を備給しなければならない需要が強いから自転車操業なのか、自己承認や自意識を入手する方法・経路が極度に不足しているから自転車操業なのかは人それぞれだろうが、自意識チャリンカーと化し、無理が多く今後の展開を狭めるような自意識蟻地獄に落ちている人があるように思われる。自己承認と自意識の備給を自転車操業した挙句、当人の適応の幅を一層狭くし将来性をも食いつぶす、