1935年(昭和10年)3月23日 - 中央気象台が、1931年に野付牛(現:北見市)へ移転した旧女満別地方競馬場跡地に気象観測用の飛行場として設置 (500 m×幅50 m)、10式艦上偵察機を用い流氷観測を実施[4] 1936年(昭和11年) 6月 - 6月19日の皆既日食観測基地として使用すべく滑走路延長[4] (650 m) 月次不詳 - 老朽化に伴い観測機の使用禁止命令。その後、鈴木与平が3式戦闘機を改造の上、中央気象台に寄付し1944年まで流氷観測を継続[4] 1942年(昭和17年)- 海軍航空隊が「美幌第二飛行基地」として整備開始[4] 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦の終戦に伴い、連合国軍により爆破され使用不能となる[4]。また、旧海軍庁舎は中学校として再利用[4] 1952年(昭和27年)11月 - アメリカ軍が修理の上、不時着場として接収 1956年(昭和