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網走に関するext3のブックマーク (4)

  • 網走支庁 - Wikipedia

    1897年(明治30年) - 網走支庁を設置 1947年(昭和22年) - 道の支庁管轄区域調査委員会で北見市への支庁移転と「北見支庁」への改称が検討されるが、最終的に見送られる 1948年(昭和23年)10月20日 - 地方自治法の施行に基づき支庁は都道府県が条例で任意に設置する総合出先機関となり、北海道支庁設置条例(昭和23年9月27日条例第44号)が施行される(条例で網走郡、斜里郡、常呂郡、紋別郡を所轄区域、支庁の位置を網走市と定める)[1]。 2005年(平成17年)10月1日 - 遠軽町、生田原町、丸瀬布町、白滝村が新設合併し、新町制による遠軽町が発足。 2006年(平成18年)3月5日 - 北見市、留辺蘂町、端野町、常呂町が新設合併し、新市制による北見市が発足。 2006年(平成18年)3月31日 - 女満別町、東藻琴村が新設合併し、大空町が発足。 2008年(平成20年)6月

    網走支庁 - Wikipedia
  • オホーツク総合振興局 - Wikipedia

    オホーツク総合振興局(オホーツクそうごうしんこうきょく)は、北海道の総合振興局のひとつ。振興局所在地は網走市。2010年(平成22年)4月1日、網走支庁に代わって発足した。 後述のとおり、オホーツクは元々対岸のロシアの地名に由来しており、日において外国由来の地名の付いた官公庁は他に例を見ない。 歴史[編集] 1897年(明治30年) - 網走支庁を設置 2010年(平成22年) - 網走支庁をオホーツク総合振興局に改組 網走からオホーツクへ改称[編集] 1897年(明治30年)に設置された14支庁を、9総合振興局・5振興局へ再編する北海道総合振興局及び振興局設置条例において、網走支局は唯一改称の提案がなされた。 管内で最多の人口を有する経済の中心地であり、国の出先機関に加えて北海道警察北見方面部が置かれている北見市では、旧国名・北見国に由来する「北見支庁」への改称と網走市からの支庁移転

    オホーツク総合振興局 - Wikipedia
  • 女満別空港 - Wikipedia

    1935年(昭和10年)3月23日 - 中央気象台が、1931年に野付牛(現:北見市)へ移転した旧女満別地方競馬場跡地に気象観測用の飛行場として設置 (500 m×幅50 m)、10式艦上偵察機を用い流氷観測を実施[4] 1936年(昭和11年) 6月 - 6月19日の皆既日観測基地として使用すべく滑走路延長[4] (650 m) 月次不詳 - 老朽化に伴い観測機の使用禁止命令。その後、鈴木与平が3式戦闘機を改造の上、中央気象台に寄付し1944年まで流氷観測を継続[4] 1942年(昭和17年)- 海軍航空隊が「美幌第二飛行基地」として整備開始[4] 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦の終戦に伴い、連合国軍により爆破され使用不能となる[4]。また、旧海軍庁舎は中学校として再利用[4] 1952年(昭和27年)11月 - アメリカ軍が修理の上、不時着場として接収 1956年(昭和

    女満別空港 - Wikipedia
  • 網走のお土産が刑務所に頼りすぎな件 / そして女満別航空には網走らしすぎる注意書きがある

    私(佐藤)は先日、北海道の網走市を訪ねた。網走には日最北端の刑務所があり、旧刑務所の建造物「五翼放射状平屋舎房」は世界最古にして最大の木造行刑建造物として、有形文化財に登録されている。観光資源のひとつが刑務所という、全国でも稀な場所である。 当然、土産物は刑務所や監獄関連のものが多いのだが、もしも網走でなければ「不謹慎ではないかな?」と思ってしまうものまで販売している。さらに女満別空港には、驚くべき注意書きがあるのだが、その内容がなんとも網走らしいのだ。 ・刑務所関連商品随一の場所 観光名所のひとつが「博物館網走監獄」である。これは、旧刑務所の建造物の数々を復元・再現しており、刑務所の歴史を学ぶことができる場所だ。おそらく、刑務所関連商品を販売しているお店のなかで、もっとも品揃えが多いのがここの土産物屋ではないだろうか。そんなに売る物があるか? と思うほどの充実した品揃えだ。 ・プリント

    網走のお土産が刑務所に頼りすぎな件 / そして女満別航空には網走らしすぎる注意書きがある
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