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ブックマーク / blog.tinect.jp (5)

  • 正しい言い方は「髪を切りに行く」じゃなくて「髪を切られに行く」では?という話に、ハッとした。

    おれもハッとしてみました インターネット上の記事タイトルで「ハッとした」、「ハッとさせられた」という文言はわりとよく見られる。 それは外国人から日文化への指摘だったり、子供の常識への純粋な疑問だったりする。 中身はそれぞれで、それは別にいいのだが、人目を引くために「そんなにハッとするなよな」という思いはある。 まあ、単なる好みなんだけど。 とはいえ、おれだって「ハッとする」ことがないわけじゃない。 そして、「あ、おれ、ハッとしちゃったな」と後悔する。いや、後悔はしないか。 このたびおれがハッとしたのは、穂村弘・フジモトマサル『にょにょにょっ記』(文藝春秋、2015年)という、ちょっと説明し難く、かなりすてきなを読んでいたときのことだ。 「にょ」の数間違ってたらごめんなさい。 当該箇所を引用する。p.156-p.157。 12月26日 推敲 美容院に髪を切りに行く。 と日記の一行目を書い

    正しい言い方は「髪を切りに行く」じゃなくて「髪を切られに行く」では?という話に、ハッとした。
  • 『失敗の責任は私にあります』と言えない責任者たちの話。

    昔、あるメーカーで経営企画職を担当していた時のことだ。 営業部の部長から、 「ウチの商品が絶対に安心で安全という証明書って発行できませんかね・・・」 と相談を受けたことがある。 聞けば、大口顧客との取引が受注寸前で、最後にそのような証明書を出せれば契約してもいいと言われているようだ。 しかし仕様書や保証書ならともかく、絶対に安心安全な証明書などどうしろというのか。 安心安全に使えるガスボンベだって火の中に放り込んだら爆発するし、腹痛を治してくれる胃薬でも用法・用量を守らなければ命に関わる。 どういうものを書いてよいのかわからず、先方ともう少し要件を詰めて欲しいと押し返すと、 「絶対安心安全の証明が要件なんですよ・・・」 と埒が明かない。 やむを得ず、一度部長に同行し先方の会社を訪れ、どのような証明を求めているのかをヒアリングすることにした。 応対に出てくれたのは、若い現場主任だ。 熱気と熱

    『失敗の責任は私にあります』と言えない責任者たちの話。
  • 企業が新入社員に「自衛隊研修」を受けさせると聞くが、その研修が必要なのは、新人よりもむしろ幹部だ。 | Books&Apps

    ホーム > 企業が新入社員に「自衛隊研修」を受けさせると聞くが、その研修が必要なのは、新人よりもむしろ幹部だ。 毎年春になると、新入社員に自衛隊研修を受けさせる企業が話題になる。 新社会人になったばかりの若者に、団体生活や規律ある生活の重要さを教え、また組織に対して貢献する心構えを学ばせたいというのが、概ねその理由のようだ。 しかしこの自衛隊研修。 敢えて刺激的な言葉を使わせて頂くと、私はこのような企画を考える企業の人事担当者は、よほど仕事ができない人なのではないかと思っている。 なぜなら、そもそもの目的がデタラメだからだ。 まったくもって、新入社員の新人教育として、このような時間の使い方には賛成できない。 ではなぜ私が、新入社員に自衛隊研修を受けさせる目的がデタラメだと考えているのか。 そのお話を始める前に、一人の勇気ある自衛官の決断をご紹介したい。 1等陸佐・黒川雄三の決断 話は199

    企業が新入社員に「自衛隊研修」を受けさせると聞くが、その研修が必要なのは、新人よりもむしろ幹部だ。 | Books&Apps
  • 結局、当事者じゃないと悩みの大きさはわからないよね、という話。

    僕らは宇宙の大きさに悩まない。 何を言っているんだと思うかもしれないが、悩まないのだから仕方がない。 例えば、この宇宙がどこまで続いているのか、その外はどうなっているのか、そもそも宇宙とはなんであるのか、そう考えるとゾッとしてきて夜も眠れなくなるかもしれないが、悩むというほどではない。 僕らは宇宙のことでそんなに悩んだりはしないのだ。 (Naki1900) でも、悩む人はいる。宇宙物理学者だとか、ロケット技術者だとか、NASAの人だとか、哲学者だとか、我々はどこからきてどこに行くのか考えている人とか、そういう人は宇宙のことで頭を抱えて悩んでいる。その思いは真剣で真摯なものだ。彼らは宇宙の大きさに悩んでいる。 ここがとても重要なのである。宇宙のことで悩む人はいる、確かにいる、でも大半の人は悩まない。当たり前のことと思うかもしれないがそれこそが真理であり、大切なことなのだ。 僕らは日常生活にお

    結局、当事者じゃないと悩みの大きさはわからないよね、という話。
  • 「威張ってはいけない時代」になったなあ。

    今は誰でも書いて発信できる時代になった。誠に喜ばしい。これこそ真の意味で、大衆文化の時代だと思う。 だが、残念ながら「大衆文化」はこれまであまり肯定的な文脈で捉えられることはなかった。大量消費文化と同一視されることが一般的だったからだ。 例えば、ヘブライ大学のユヴァル・ノア・ハラリは現在の支配的な考え方である消費主義について皮肉を言う。 今日では殆どの人が資主義・消費主義の理想を首尾よく体現している。この新しい価値体型も楽園を約束するが、その条件は富める者が強欲であり続け、更にお金を儲けるために時間を使い、一般大衆が自らの渇望と感情にしたい放題にさせ、ますます多くを買うことだ。 これは信奉者が求められたことを実際にやっている、史上最初の宗教だ。 だが引き換えに当に楽園が手に入ると、どうしてわかるのか?それはテレビで見たからだ。*1 発信手段を独占していたマスメディアは企業と結びついて消

    「威張ってはいけない時代」になったなあ。
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