ブックマーク / blog.tinect.jp (2)

  • コンサルタントだった頃学んだ「議論がうまい人」とそうでない人の5つの差異。

    コンサルタントをやっていたころ、「議論」を見る機会がよくあった。 「見る」といったのは、私が議論に参加することは殆どなかったからだ。 というのも、コンサルティングには 「お客さんとは絶対に議論するな。お客さん同士で議論してもらえ」 という原則があり、私はそれを忠実に守ったのである。 そのため私は、第三者として、様々な会社で、多くの議論を見る機会に恵まれた。 そこで一つ気づいたことがある。 「議論のうまい人」と「議論がへたな人」は、非常にはっきりと分かれるのだ。 「議論」とは何か 当然、人によって議論に抱くイメージは異なるだろうから、まずハッキリとさせておかなければならないのが、「議論」の定義だ。 広辞苑にはこのように書かれている。 【議論】 互いに自分の説を述べ合い、論じ合うこと。意見を戦わせること。またその内容。 (広辞苑第六版) 私が見てきた議論の殆どは会議やディスカッションなど、 「

    コンサルタントだった頃学んだ「議論がうまい人」とそうでない人の5つの差異。
    ezura
    ezura 2017/12/17
    "目的は「議論に勝つ」ことではなく「自分の知力を見せつけること」でもなく、「議論をすることで、良いアイデアを出すこと」"
  • なぜ経験を重ねると、人に優しくなれるのか。

    優しさについて考えるきっかけとなったのは、ある施設の話題だった。 その施設は、トイレットペーパーや布団のシーツといった備品を利用者が補充している。 利用者が補充するといってもやることはとても簡単で、「もうすぐなくなります」と施設側に伝えるだけでいい。 そうすればあとは施設側が手配してくれるので、最初の一声だけ利用者が発信すればいいという仕組みになっている。 ただこれがあまりうまく機能していないらしい。 というのも、利用者がもうすぐなくなるアラートを出すのは自分のためではなく、次に利用する別の誰かのためだからだ。 自分が楽しんでいるときに、次の利用者のことを思って備品の数を見る人はほとんどいない。 ある利用者は「自分が『さあ寝よう』と布団を敷こうとしたときに初めて『シーツがない』と気づく。その絶望感を一度体験すると、次使う人のために必ず残りのシーツの枚数をチェックしようと思える。 だがその経

    なぜ経験を重ねると、人に優しくなれるのか。
    ezura
    ezura 2017/12/07
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