2019年6月16日のブックマーク (2件)

  • 【香港デモ】「逃亡犯条例」改訂が巻き起こした衝撃と市民の怒り - ふるまいよしこ - BLOGOS編集部 (BLOGOS - 最新記事)

    今回の香港デモの要因である逃亡犯条例について、丁寧に説明されたふるまいよしこさんの記事。香港の法制度の成立過程に紐づく逃亡犯引渡び関わる考え方の背景や、今回の条例改定の動機とされる台湾における殺人事件など、詳細が分かりやすくまとまっていて至便。 英米法体系を共有していない大陸法体系の国とは条例が結ばれていないため、中国だけでなくやはり大陸法系の日とも引渡しができない現状がある、というのは初めて知った。また、現行条例に中国を除外する明文規定がある理由は、「法の支配」という観点で香港より評価が劣るという判断が明白にあるためだという。 香港の書店主が行方不明になった案件などははっきり言って政府による「拉致」であるし、別件逮捕を濫用した思想統制の事例群などをみれば、「法の支配」などという評価軸を取り沙汰する気も起きない。土から香港へ行っている留学生らを中共が現地組織を通じプロパガンダに強制動員

    【香港デモ】「逃亡犯条例」改訂が巻き起こした衝撃と市民の怒り - ふるまいよしこ - BLOGOS編集部 (BLOGOS - 最新記事)
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    facet31 2019/06/16
  • イギリスはなぜ香港を見捨てたのか

    <7月1日、香港返還20周年の式典に出席した中国の習近平国家主席は、「中央の権力に挑戦する行動は絶対に許さない」と語気を強めた。香港の民主化は、最後の香港総督パッテンの努力も空しく風前の灯だ。20年前、イギリスはなぜ香港を見捨てたのか> 香港割譲は中国史上最も大きな損失だったが、香港がいずれ中国に返還されるとは、当初誰も考えていなかった。 1842年に結ばれた南京条約で、香港島はイギリスに割譲された。第一次アヘン戦争でイギリスの巨大な軍艦と圧倒的な軍事力の前に敗れた中国(当時の清国)に選択肢はなく、香港島はイギリスに永久割譲、1860年に九龍半島が割譲された。 不毛の島である香港島には水が不足していた。そのためイギリスは1898年、中国から新界を租借し、99年後の1997年に「新界のみ」返還すると約束した。この時点では、香港島まで返還することは想定外だった。 イギリス軍がアルゼンチンに奪わ

    イギリスはなぜ香港を見捨てたのか
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    facet31 2019/06/16