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この間は第17話までの感想をぐだぐだと書いたんですが、違和感は違和感として書いてみて、また、コメントもいただいたりしたことで、この作品と接するについての、自分なりの覚悟(?)というものが出来てきたような気がします。(笑) で。物語のほうも、ひどく救いのない感じに荒れてきてるんですが、その半面で、どうやら主人公のコウジにも、(ようやくにして?)何かの覚悟が出来てきたような感じで。正直、ここまで見てて、何ともしんどかったなぁと思います。・・・と思ったら、もう次で終わりじゃないですか?うひゃあ~・・・ 間違っちゃならないのは、この作品、あくまで現代社会の「戯画化」であって、決してまっとうな「縮図」ではないですよね。シミュレーションっぽく装っているけど、たぶん誇張された結果を導き出すために、そこからあらかじめ逆算されて設定された初期パラメータが、そもそも変な感じ。「教師のいない学校」と言うべきシミ
■これまでの充実した時間をありがとう!〜素晴らしい物語でした! いま見終わった(←これは当日リアルタイム直後の書いているので・・・)。ああ、物語の次元で、ちゃんとドラマツゥルギーを終息させてくれた、監督に多謝です。いやーちゃんと、物語を終わらせてくれた!、という感慨を感じます。僕は、『新世紀エヴァンゲリオン』をリアルタイムで視聴していた時に、もちろんあれはあの時代の本質を反映していたのでああで正しかったんだ、と今にしては思うが、それでも「物語の次元で話を終わらせてほしかった」という一エンターテイメントファンとしては、どうしても思い残した刺のようになっていました。今回のコードギアスは、それをちゃんと、物語の次元で王道で回収してくれたので、それは一アニメファンとして非常になんというか「ちゃんと終わった感」があって、それは一抹の寂しさがあるけれども、ありがとうございます、という気分です。その辺の
さんざ振り回されてきましたけど、何だかんだ“ラス前”らしい雰囲気になってきました。(笑) 次回で『コードギアス』も最終回とか言うと、何だかさびしいですね。毎度毎度、よくぞこんなに外れまくる予想を楽しませてくださった。テーマ的な落としどころはどこになるのか、最後の最後まで予断を許さないけど、まったく面白いアニメでした。これはラストを見てしまう前に言っておいたほうが良さそうですね。 ラスボスはシュナイゼルだと思い込んでましたが、あっけなく(いろいろ駆け引きは面白かったですけど)ルルーシュの策に屈してしまって、「ありゃー」と拍子抜け。(笑) これも策士・大河内一楼さんの術中にまんまとはまってるんでしょうけど、最後まで本当に飽きさせない展開だなぁ。感心感心! それで真のラスボス(?)の役回りはナナリーってことなんだろうか。(普通はそうは思わないけど、この作品の経験則から言うと、一話あれば、また逆転
見はじめに一度感想を書きました。その後も続けて見てはいたんですが、感想をブログに書くことはしていなかった『無限のリヴァイアス』です。 『ガサラキ』(1998)の助監督を務めた翌年、谷口悟朗監督のテレビアニメ初監督作品。・・・なのですが、シリーズ構成の黒田洋介さんの印象が強いのかなー、と前に書きました。って言っても『ガンダムOO』と似たような重さだなーという程度の話ですけど、その印象は話数を重ねていってもあまり変わりません。 あるいは“スペシャルコンセプター”(『ガサラキ』ではシリーズ構成を担当)の野崎透さんのカラーもあるのか? 世界観の設定というのがこの役職の仕事だとすると、物語の背景になっているSF的な部分(→ 無限のリヴァイアス | 用語解説)は面白いもののような気がします。ちっともそこに話が向かっていかないというところがいやはや何とも。いくら子どもばかりという設定とはいえ、登場人物の
映画, アニメ なんかそろそろ終わってしまいそうだったので、慌ててポニョを見てきました。ブログ界隈では「半魚人に『そーすけすきー』とか言われてもキモイ」だの「リサの行動は母親としてどうなのか」みたいな話がいっぱいあって、妙に批判的だったので、一時代を築いた宮崎駿の時代も終わるのか...と思って見てきました。 なんだよ。パンダコパンダあたりからの全作品と比較しても、これ、最高傑作だろ!!! 以下、もう終わりかけなのだけど見て欲しいので、ちょっとだけネタバレも交えつつ書きます。ホントに傑作だった。 これぞアニメーションアニメーションは、現実では描けないことも描ける、アニメーションなら許せる描写ってのがあるからアニメーションじゃないですか。ポニョって、まさしくその「アニメーション」じゃないですか。 私はこんなにわくわくするアニメを見たのは本当に久々ですよ。妹金魚が魚になって最後には波になっちゃう
また「神殺しの物語」の話をします。 先に言っておきますと、これから「ゼーガペイン」という作品を紹介して行きますが、この作品は、ハッキリ言ってネタバレすると楽しさが半減します。…でメインで面白いポイントは特に「神殺し」の視点という事でもないのですが、話す以上はある程度、ネタバレしてしまうのですよね(汗) でも、ねえ…?この作品かなりマイナーだし、時が経つと共に忘れ去られていると思うんですよ。観続けた人は皆好きだというんですけど…。そうするとネタバレくらいして、アピールしないと、この文章読んで「ゼーガペイン」を観てみようかな?って思う人も出てこないんじゃないかな?……というワケでネタバレ前提で話をします(←言い訳終了) 繰り返しますがこの作品、かなりネタを隠してて、いいいいタイミングでそれを出す事で「面白さ」を出している作品です。読んでしまった人は、リアルタイムで追わなかった事をいくらか残念に
昨日の土曜日、宮崎アニメの新作『崖の上のポニョ』を見てきました。一応、ネタバレにならない範囲で感想を書きますと、見たことがない種類のアニメーション映画でした。アニメーションとしても映画としても、似た作品を俺は思い当たらないし、過去のどの宮崎アニメとも似ていません。 もちろんキャラクターとか、ディティールの演出やセリフはいかにも「宮崎駿」なんですよ。確かに宮崎アニメに違いないが、見ている最中の「違和感」は、これまで感じたことがないほどのものです。まるで、はっと気がついたら父親が人間モドキに変わっていたような感じ。 『魔女の宅急便』を試写で見たときに、それまでの宮崎アニメと雰囲気が違うので少しとまどったことがありますが、二度目に見たときには大好きになりました。『ポニョ』も複数回見れば、印象が変わるのでしょうか。たぶん、そうなのでしょうが、今度ばかりは「理解した」と思えるまでに時間がかかるかもし
カウボーイビバップはクールな映像、熱狂を誘うスマートなストーリー、アップビートな楽曲に至るまでアバンギャルドなスタイルのショーケースだ。 洗練されたプロットはその意図に無理に合わせようとキャラクターを犠牲にする事もなく、感情的にショッキングな場面やコミカルな時でさえ、アダルトなSFフィーリングに焦点を当てている。 これはアニメにおいてはかなり稀なこと。 ドラマティックなアートディレクションもそう。― 忘れがたい弾道軌跡のタイムディレイ現象、すばらしくすてきな追憶シーン/アクションモンタージュ、 バロック的な風景、また驚くほど美しいキャラクター構成の巧みな複合などだ。― しかし菅野よう子の幅広い多様な楽曲こそがシーン・セッティングにおいて最高の称賛を得ている。 それはこの作品にいたずらっぽくてお気楽なカッコよさとも言うべきとってもユニークな味わいを与えている。 オープニングエピソ
なんかもう、ここんとこ「秒速5センチメートル」の事しか書いてない、考えてない気がする。まあ、それだけ自分に深く突き刺さった作品ってことです。 この「秒速5センチメートル」、ストーリーは言ってしまえば「極めて陳腐」な訳です。 軽くネタバレしますが、幼い頃に惹かれ合い、理由も無く共に歩いていけるはずと思っていた二人の間に別離が訪れ、時が経ちお互いの想い、暮らしも変わっていき、何者にも汚されることは無いと信じていた何かが何時の間にか消失し…というものです。 ですが、その「陳腐なストーリー」こそが誰にも訪れる現実、誰もが何かしらの形で経験しているであろう現実なんですね。そのストーリーに宿る「最大公約数的且つ本質的な切なさ」が強烈に美しい日常風景の中で語られ、観る者はそこに自分自身の過去を、今を投影し、フィードバックされる想いに身を焦がされる。少なくとも俺はそうでした。焦がされまくりました。 この作
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