「笑い」とは結局「差別」のことである。だから「ハゲ」で笑えるというのは、別にその場の「沸点」が低いわけではない。人を「ハゲ」だと揶揄することは、笑いの「本質」なのである。「デブ」「ホモ」「ブス」「バカ」などが、これに類する。こういう、社会的に許されるか許されないか――タブーを侵すか侵さないかのギリギリの「差別」に、「笑い」というものの真実の姿がある。だから、「ニコニコ大会議」が「笑い」を誘発しやすいのなら、それは「差別」を誘発しやすいということに他ならない。「ニコニコ大会議」が面白かったのなら、それは「差別」を誘発できていたということだ。「差別」か「笑い」かの二択ではない。「差別」こそが「笑い」なのだ。 その笑いは、「いじり」なのか「いじめ」なのかという議論があった。答は、そのどちらもだと思う。その「ハゲ」というのが面白かったのだとしたら、「いじり」でもあったろうし、また「いじめ」でもあっ