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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (27)

  • 本を読んで分かった任天堂の「今そこにある危機」 - ハックルベリーに会いに行く

    「任天堂 “驚き”を生む方程式」を読んだ。 「任天堂 “驚き”を生む方程式」を読んで気づかされたことこれを読んでまず分かったのは、ぼくが「任天堂世代のど真ん中」だったということだ。「任天堂の子供」と言ってもいいかも知れない。山下達郎の歌に「アトムの子」というのがあって、それは山下達郎(1953年生まれ)の世代が「鉄腕アトムの子供である」ということを歌った歌なのだけれど、ぼく(1968年生まれ)の世代は、任天堂の一連のエポックメイキングなおもちゃたちをリアルタイムで味わってきた、まさしく「任天堂の子」なのである。 このの巻末に記されている「任天堂の歴史」を見ると、それがよく分かる。まず、物心ついた時には、任天堂製のトランプや花札で遊んでいた。家の近所のちょっと年上の子の家には、「ウルトラハンド」や「光線銃」といった任天堂社製のエレクトロニクス玩具があった。「ゲーム&ウオッチ」と出会ったのは

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    fenethtool 2009/05/22
    今そこにある危機というならiPhoneの方がよっぽどとは思うけど、まあこれもありですね
  • id:y_arimさんは一度ガツンと殴られた方が良い - ハックルベリーに会いに行く

    id:y_arimさんは、自分のことが好きになれないと言っている。そうであるなら、一度ガツンと殴られた方が良い。これは比喩的な意味ではなく、文字通り、肉体的に、ガツンと一発(あるいは二発三発)殴られるということだ。アントニオ猪木さんにビンタしてもらうのでも良いが、一番良いのは、ボクシングジムに通うことだ。そこでトレーニングを積んで、スパーリングをするまでになれると良い。そうして、そこでガツンと殴られるのだ。どうせなら、ノックアウトされるくらい、手ひどく殴られると良い。いわゆる、ボコボコにされるというやつだ。 殴られるというのは、当に大きな効果がある。それはアイデンティティを粉々に打ち砕かれるし、生命の危機を感じる。耳の奥でツンと耳鳴りがして、頭がクラクラとする。意識が朦朧とする。そうした中で、身体の内奥に、何かたぎるような情念のほとばしりが生まれるのである。それが、生きるということの欲求

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    fenethtool 2009/01/24
    リアルモンクの集会場はここですか?
  • 小室哲哉は「人を見る目」のある人間だった - ハックルベリーに会いに行く

    小室哲哉が逮捕されてしまったけれど、昔の彼は当にすごかった。ぼくは彼のことを直接は知らないのだけれど、テレビ業界にいたからその噂は色々聞いていた。噂と言っても悪い噂というのではなく、良い噂の方だ。一頃の小室哲哉は、誰もが驚嘆するような、当にすごい仕事をしていた。 これは「ダウンタウンのごっつええ感じ(以下『ごっつ』)」のスタッフの人から聞いたのだけれど、彼らにとって小室哲哉はまるで魔法使いのような存在だった。魔法使いのように次から次へと信じられない所業を成し遂げ、みんなをびっくりさせたのだ。 小室哲哉が「ごっつ」のスタッフをまず驚かせたのは、篠原涼子をプロデュースして空前の大ヒットを飛ばした時だった。「ごっつ」のスタッフが驚いたのは、「あの」篠原涼子をプロデュースして200万枚を超えるセールスを記録したことだ。「あの」というのは、その頃の篠原涼子は(今の彼女からは想像もつかないが)、何

  • とてもじゃないが「自分は無知である」などとは言えない - ハックルベリーに会いに行く

    おそらく「無知の知」ほど多くの人に誤解されているというか、都合良く解釈されている警句、故事は少ないだろう。これは質的には「自分が物知りだと思うことを戒めている言葉」ではない。自分が頭が良いと思っちゃいけないよ、と言ってるわけではない。その逆だ。「頭が良いというのはこういうことなんだぜ」ということを言っているのである。「おれはお前より物知りなんだぜ」ということを表している言葉なのだ。 ソクラテスは怖ろしい。彼は人類史上最高の「クレタ人メソッド」の使い手と言って過言ではないだろう。ぼくが最も憧れる存在の一人である。表向きはへりくだった謙虚さをアピールしているものの、その裏には彼のおそろしい自信と自負心、そして尊大さが垣間見える。確かに、「無知の知」はそれ自体人の自信過剰を戒めているようにも受け取れるが、ソクラテスが伝えたかったのはそんなことではない。要は、「結局自分は世界で一番物知りなんだぜ

  • この記事がブクマ100users行ったら「キングオブうすらバカ」を発表します - ハックルベリーに会いに行く

    おかげさまで――うすらバカを目立たせるのがはてなのブコメというエントリーにはたくさんのブックマークを頂きました。現時点で200近いブクマを頂いております。さて、そうしてたくさんのコメントも頂きました。その中には色々印象的な言葉がありました。ぼくは、件のエントリーにはブックマークがつくことはほとんどないだろうと予想していたので、それらはほとんどは想定外のできごとでした。そしてとても面白かった。とてもユニークなブックマークコメントが多かったです。 ところで、そんな中でも印象的だったある一つのブックマークコメントがあったのですが、実は、それについて言及する記事を書いたのです。タイトルは「キングオブうすらバカ」。内容は、その印象的だったブックマークコメントについて、思うところを述べています。それでもぼくは、これについてアップするのを少し躊躇いました。なぜならば、それはなんと言うか、前のエントリーが

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    fenethtool 2008/11/01
    ksk
  • あの内藤はどこへ行ってしまったのだろうか? - ハックルベリーに会いに行く

    ネットの世界で今でもよく見られる「うはwwwおkwwwww」という言い回しは、もともとは2ちゃんねるのFFXIのネタを主に扱っていたネトゲ実況掲示板(通称ネ実)から2ちゃんねる全体に広まって、そこからさらにネット世界全体に広まったらしい。それ以前は、FFXIの中で、あるいはそれ以前のネットゲームのごくごく一部の者のあいだでのみ使われていたマイナーなスラングに過ぎなかった。 その頃のネ実には、そうしたスラングを生み出し、また広めるだけの大きな力があった。当時のネ実には魔力があった。そこにはとてつもない吸引力があり、面白いやつがどんどん集まってきた。そうして、その面白いやつらがどんどんと新しい文化を生み出し、新しい面白さを生みだしていった。いわゆる「ブロントさん」を生み出したのもネ実であるが、ブロントさんほど広まりはしなかったものの、それ以上に強力な「内藤」という概念をも生み出していた。 「内

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    fenethtool 2008/10/19
    名台詞スレからしたらば、2chへと入っていった。懐かしいなあ。
  • 任天堂が勝っている理由はただ一点「宮本システム」にしかない - ハックルベリーに会いに行く

    任天堂が勝っている理由について、色んな人が色んな分析をしているようだけど、それらはどれも上辺だけのものに過ぎない。任天堂が勝っているただ一つの理由は、「宮システム」を生み、これを育て、また堅持したことだけにしかない。全てはこれで説明がつく。 任天堂の平均給与がなぜ安いかなんて、理由は一つしかない。宮さんの給料が低いからだ。ただそれだけだ。宮さんの給料が低いから、みんな誰も給料を上げろとは言えないのだ。世界で一番の富を生み出した人が、非常識なまでの安い給料で働いているから、誰も文句を言えないのである。 任天堂がなぜ儲かっているかと言えば、これも理由は一つしかない。宮さんが面白い遊びを提供し続けてきたからだ。宮さんには、ハードとか、ソフトとか、あるいはゲームという枠組みさえも関係ない。彼にあるのはただ一つ「遊び」というカテゴリーだけだ。彼はこれまで面白い遊びを提供することだけに集中し

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    fenethtool 2008/10/10
    個人的には、これにツッコミを入れる人と塩野七生の小説にツッコミを入れる人は似てる気がする。本来これは物語として読まれるもの。そういう意味で読む方にもリテラシーが問われるけど。
  • 教育することの面白さって何だろう? - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?「りんごアンテナ日記」さんというニュースサイトがあって、よくぼくの記事を紹介してくれている。りんごアンテナ日記 とてもありがたいことだ。ところで「りんごアンテナ日記」さんの管理人さんは塾を経営なさっているらしい。とても素晴らしいことだ。ぼくも最近どうにも教育というのに興味があって仕方ない。ぼくの場合は誰かに何かを教えることを仕事にしているわけではないのだけれども、それでも人と接することがあって、そういう時に教育欲がむくむくと頭をもたげたりする。そうなったのは比較的最近からだけれども、もともと誰かに何かを教えるということは好きだった。ぼくにはぼくの大好きなものというのがたくさんあって、それを誰かと共有したいという思いがとても強いのだ。そしてできればそれをぼくと同じように面白いと思ってもらえたら最高だ。 教育ではないが、誰かに何かを教えるということはずっとしてきた。自分の大

  • Hくんが府中で体験したリアル逆転裁判 - ハックルベリーに会いに行く

    知り合いのHくんの話。Hくんは駐禁に駐禁を重ねるチュウキニストで、免停の前歴が過去2回を数えるまでになった。この状態だともうあと2点でも失えばすぐまた免停で、しかも今度は3回目だからいきなり免停3ヶ月をらうというような崖っぷちの状態に陥った。そうなって初めてHくんも反省した。これから1年間はもう違反はしないでとにかく堪え忍ぼうと(1年間無事故無違反だと過去の免停は勘案されなくなる)、いつでもそろりそろりとおっかなびっくり運転していた。ところが、それは前の免停明けから8ヶ月ほどが経過した冬の真っ直中の2月半ば、走っていた中央高速を高井戸で降りた道と甲州街道とが合流する陸橋の頂上付近で、後ろから追跡してきた白バイにスピード違反を見咎められ、あわれにも23キロオーバーで捕まってしまい、2点減点で三度免許停止処分をらってしまったのである。 ※この先の陸橋の頂上付近で捕まったのだそうです。 大き

  • テキストに知性があるかないかを見分ける10のポイント - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?「知識」のプライオリティは下がっている町山智浩さんのブログを読んでいたら、興味深い一節に突き当たった。 オイラはものをあまりよく知らない。昔はそれを恥ずかしく思っていたし、よくバカにされてきた。でも、今はなんとも思わない。なぜなら、ネットの時代、知識は誰でも簡単に拾えるようになったので、知識そのものに価値がなくなったからだ。いや、それは言い方が違うな。当に物知りなのか、ネットで拾っただけの知識なのか見分けることが困難になったからだ。ちょこちょこっと検索して、それを散りばめれば物知りに見える文章は作れる。「鎮」という漢字が読めない知ったかぶり「雑学王」 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 なるほどこれは確かにそうかも知れない。インターネットやIT機器の発達で、情報というものはこれまでと比べて格段と調べやすく、また引き出しやすい環境になった。だから、以前のようにそれを

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    fenethtool 2008/09/24
    そして最後は、量を書くこと。名文は悪文を書き直した物である。
  • 罵倒系ブロガーの誕生 - ハックルベリーに会いに行く

    世の中には罵倒系ブロガーなるものがいるらしい。罵倒系blogで失敗を反省するところって見た覚えがないな ぼくはこれまで知らなかったのだが、この言葉はなるほど言い得て妙だ。罵倒系ブロガーと言うと、僭越ながらぼくも当てはまることになるのだろうか? それはさておき、罵倒系ブロガーなるものがなぜ誕生したか、その経緯について考えてみたい。 罵倒系ブロガーの人生はたいてい辛酸系である罵倒系ブロガーの人生はたいていこれまで辛酸を舐めてきたものである。そこでは世知辛いいくつかの闘争があった。そうした中で、罵倒系ブロガーは人を攻撃するとはどういうことかを学んできた。また同時に、争うことの虚しさや、勝つことの意味のなさも学んできた。あるいは、もちろん負けることの歯噛みするような悔しさも学んできた。そうして、罵倒系ブロガーはタフになった。タフになると同時にもう争いには辟易して、人間が穏やかになった。それが罵倒系

  • 理解することではなく、理解しないことが大切なのです - ハックルベリーに会いに行く

    以前に書いた、美というもの価値基準という記事に対して、こういうブックマークコメントを頂いたのですが、分かってないなあという感じです。tks_period この人の文章の大元はこれかと思った。 夕焼けなどからの感動を大切にする気持ちは素晴らしいと思うけど、例えば夕焼けを不吉とする文化があるかも、あったとしたら理解する、という視点が抜けてると思うんだよな。はてなブックマーク - momento / 2008年09月08日 この人は人間というのを理解していない。きっとそれほど一生懸命考えたこともないのでしょう。例えば「夕焼けを不吉とする文化」を持つ人がいたとします。自分とは違う文化です。そういう人に対して、「おまえは間違ってる」と拒絶反応を示すのと、「自分とは違うが、わかります」としたり顔で理解を示した場合、どちらの方が友好的な関係を築けるか――これはもう、言うまでもなく前者なのです。 人間とい

  • オタクの壁 - ハックルベリーに会いに行く

    今、あらゆるエンターテインメント業界において制作者の前に大きく立ち塞がっているのが、「オタクの壁」である。「オタクの壁」とは、コンテンツをオタク向けに作ることによって、ある一定の売上げは確保できるものの、それ以上には広がっていかないジレンマのことである。「オタクの壁」には、大きく分けると四つの壁がある。その四つの壁について、一つずつ見ていく。 第一の壁第一の壁は、「切り捨ての壁」である。例えば「萌え」というのがある。萌えは、オタクには訴求力があるけれども、それ以外の一般層には逆に嫌悪の対象でもある。それでも、売上げを確保するためには萌えコンテンツを作らざるを得ない。萌えを含んだコンテンツを作れば、ある一定数の売上げが見込めるからだ。もし、萌えを含まないコンテンツを作れば、一般層にも広がっていく可能性は生まれるが、失敗すれば、全く売れない可能性も出てくる。それが怖いから、例え一般層を切り捨て

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    fenethtool 2008/08/19
    ところでWiiの稼働率今でも高いの
  • ぼくの人生を変えた10の小説 - ハックルベリーに会いに行く

    ドリトル先生航海記全てはここから始まった。後で知ることになるのだが、ここには物語のほとんどの原型が詰まっていた。物語の成り立ちも原型的だった。それはまさに物語だった。これこそ子供が読むためのだった。 馬の首風雲録筒井康隆をいつから好きになったのか覚えていない。最初に読んだのは「将軍が目醒めた時」だというのは覚えている。ただそれほど面白いとは思わなかった。つまらないとも思わなかった。不思議な読後感だった。それから、筒井康隆をよく読むようになった。震えるような感覚はなかったけれど、いつの間にかどっぷりハマっていた。そしてこの小説を読んで、初めて面白いと思った。 東一局五十二場ふとしたきっかけから麻雀に興味を持った。その過程で、麻雀には阿佐田哲也というすごい小説家がいるのだということを知った。代表作は「麻雀放浪記」だったが、手始めに短編集から手をつけてみることにした。屋さんで、タイトルに引

  • id:guri_2氏の映画評に対する率直な感想 - ハックルベリーに会いに行く

    ポニョ見て泣いた。これは宮崎駿が見てきた夢じゃないか。 - Attribute=51 ポニョ見て泣いた。これは宮崎駿が見てきた夢じゃないか。違う。これは「宮崎駿が見てきた夢」ではない。夢を過信してはいけない。エンターテインメントは、あるいは表現というのは、夢とは違うんだ。それは筒井康隆の一連の夢小説群を読めばよく分かる。黒澤明の「夢」を見ても良い。夢は創作物に比較的安易に面白さを貸与できるけれども、それは結局大切な何かには最終的に届かない。夢などというのは誤解だ。いしいひさいちは喝破している。人の夢を聞かされるほどたいくつなことはないと! だから、これを夢などと言ってはいけないし、安易に夢であると思ったり、それを良いことだと思ってもいけない。 深夜の六木に「崖の上のポニョ」を見に行った。久しぶりに映画見て大号泣した。号泣、それも大号泣するというのはおかしい。そういう見方にはならないはずだ

    fenethtool
    fenethtool 2008/08/15
    いいから創作しろよ。俺はお前の創作が読みたいんだ。
  • 削ることだ - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?もし何かを面白くしたいのなら、足すのではない、削ることだ。プログラムを面白くしたいのなら、コードを削ることだ。コードは、短ければ短いほど美しい。簡略化し、単純化し、効率化することだ。いかに短く書けるか――が、即ちそのプログラマーのセンスと能力だ。絵を面白くしたいのなら、線を削ることだ。その代わり、削ったその線の中に、魂を込めることだ。一つの線に、三つも四つもの意味を持たせることだ。ディレクターなら、要素を一つに絞ることだ。その一つの中に、全力を注入することだ。多要素は、結局面白がられない。例えば、かけられる工数が十だったら、一のものを十作るのではなく、五のものを二作るのでもなく、十のものを一作れ。人は結局、そういう突出したものをこそ面白がる。運動選手なら、動作を削れ。一つの動作で、二つのことのをこなせ。野球選手なら、取る動作と投げる動作を一つにしろ。柔道家なら、相手の技

  • 般若心経を唱える猫 - ハックルベリーに会いに行く

    追記(2008年7月27日12時10分)このエントリーは、ある動画を見ている時に思いつきました。ですので、その動画を見て頂いてからお読み頂くと、なおさらイマジネーションが広がるかも知れません。動画は、こちらの記事に貼っておきました。「般若心経を唱える」の補足ノート 1うだるような暑さの中、人波でごった返す大都会のスクランブル交差点を、少し離れたところから静かに見つめる男がいた。男は気が狂っていた。男はカトウの後継者を自認していた。男はカトウの後継者を自認し、その成し遂げたかったこと、そして成し遂げ得なかったことを自分が代わりに実現するのだと考えていた。男の名前はカトウと言った。たまたま名前が同じだったことも、男に自分はカトウの後継者であるという思いを益々強くさせた。 そしてカトウは、背負っていたリュックを降ろすと、その中に手を突っ込んだ。リュックの中には、目の前の交差点を行く人々を可能な

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    fenethtool 2008/07/29
    描写をもっと密にした方がいいと思った。あと書き出しには魂をこめた方がいいよ。最初で惹きつけられないと誰も読んでくれないから。これは自分にも言えるけど。センスあるんだから、そこで手抜きしたらだめだよ。
  • 絶対に遅刻しない女の子がいる - ハックルベリーに会いに行く

    「最近の若者は――」という言説をよく聞く。たいていはネガティブなイメージで語られることの方が多い。曰く、最近の若者はひ弱になった、最近の若者はバカになった、最近の若者は覇気がない、最近の若者はすぐ挫ける、最近の若者は何を考えているのか分からない……しかしぼくは、若者をそういう目で見たことがない。それは、ぼく自身がとてもだらしない人間なので、たいていの人がぼくより立派に見えるからというのはあるけれど、それを抜きにしたって、逞しく、したたかで、尊敬できる若者というのは多い。若者礼賛というわけではないが、若者の中にもそういう人がちゃんといるということだ。特に、ぼくの知っている若者には、心の底から尊敬でき、敬服できる人物が何人かいる。そういう人を知っているから、ぼくは、若者というのを一括りに否定することができないのだ。 ぼくの知ってる若者に、絶対に遅刻をしない女の子がいる。どんな時でも、集合時間の

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    fenethtool 2008/07/29
    ハードボイルドに出てくる主人公みたい。その背中は孤独で傷ついているように見える。なんていうかタフだなあ。勝手な理解だけど。
  • 子供をオタクにしないためのマンガ10冊 - ハックルベリーに会いに行く

    いくら子供をオタクにしたくないからといって、マンガそのものを読ませないというのは逆効果だと思うんですよね。かえって良くない。何ごともそうですけれど、ものごとには良い面と悪い面の両方があるわけで、そういうふうに一刀両断で何かを断罪してしまうのは、思考停止を引き起こしかねない。それは、子供をかえってバカにしてしまう。それに、これは誰にも経験があると思うのですが、親に禁止されたものって、かえって読んでみたくなるんですよね。かえって興味を抱いてしまう。だから、その意味からも、子供にマンガそのものを読ませないというのは、やっぱり良くないと思うのです。 大切なのは、「当に素晴らしいものは何か」「当に面白いのものは何か」ということを、しっかりと伝えていくことだと思うんです。しっかりと教える。それも、できれば小さなうちから。そうすれば、大人になってからかかるハシカのように、変に趣味をこじらせたり、それ

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    fenethtool 2008/07/26
    外で遊ばせた方が早いんじゃないか
  • ぼくの知り合いのとてもモテる人について - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくの知り合いにとてもモテる男の人がいる。その人のモテ方はすさまじくて、もうとにかく女性を取っ替え引っ替えだ。彼女もコロコロ変わるけど、浮気もしょっちゅうだし、一晩だけのなんて言い出したらキリがない。ちなみにその人は全然イケメンじゃない。むしろブサイクの部類だ。なのにモテる。並み居るイケメンをなぎ倒して余りある。どんなイケメンもその人には叶わない。みんな、「あいつには負けるよ」とシャッポを脱ぐ。というより、呆れられる。「なんでそんなにモテるの?」って。その人のモテ方は異常だからだ。まるで鬼の首を取ったようにモテる。で、「なんでそんなにモテるのか?」ぼくも、その人と付き合う中でそれを考えたことがあったので、それを今日はここに書いてみたい。 まずその人は、お母さんに溺愛されて育った。きっと良い育てられ方をしたのだろう。自分の存在に対して揺るぎない自信がある。特に女性に対しては、臆したりビビった