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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (5)

  • ぞなもし狩り (円城 塔)

    2016年1月30日、別府大学で行われた「別府を読む× 別府を書く」と題された特別講演の際、円城塔、澤西祐典、福永信の三名が競作した原稿。 完成版が大分合同新聞に掲載された。(円城塔)

    ぞなもし狩り (円城 塔)
  • 新美南吉 おじいさんのランプ

    かくれんぼで、倉の隅(すみ)にもぐりこんだ東一(とういち)君がランプを持って出て来た。 それは珍らしい形のランプであった。八十糎(センチ)ぐらいの太い竹の筒(つつ)が台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そしてほやは、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。 そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。 「何だア、鉄砲かア」と鬼の宗八(そうはち)君はいった。 東一君のおじいさんも、しばらくそれが何だかわからなかった。眼鏡(めがね)越(ご)しにじっと見ていてから、はじめてわかったのである。 ランプであることがわかると、東一君のおじいさんはこういって子供たちを叱(しか)りはじめた。 「こらこら、お前たちは何を持出すか。まことに子供というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっと(ねこ)の

    fhvbwx
    fhvbwx 2013/01/27
    これはSFでいいよね?
  • 菊池寛 忠直卿行状記

    一 家康(いえやす)の陣へ呼び付けられた忠直卿(ただなおきょう)の家老たちは、家康から一たまりもなく叱り飛ばされて散々の首尾であった。 「今日井伊藤堂(いいとうどう)の勢(ぜい)が苦戦したを、越前の家中の者は昼寝でもして、知らざったか、両陣の後を詰めて城に迫らば大坂の落城は目前であったに、大将は若年なり、汝らは日一の臆病人ゆえ、あたら戦を仕損じてしもうたわ」と苦り切って罵ったまま、家康はつと座を立ってしまった。 国老の多富正(ほんだとみまさ)は、今日の合戦の手に合わなかったことについては、多少の言い訳は持ち合わして行ったのだが、こう家康から高飛車に出られては、口を出す機会さえなかった。 で、仕方がないというよりも、這々(ほうほう)の体(てい)で陣を退って、越前勢の陣所へ帰って来たものの、主君の忠直卿に復命するのに、どう切り出してよいか、ことごとく当惑した。 越前少将忠直卿は、二十一

    fhvbwx
    fhvbwx 2009/03/28
    切腹多すぎ!石の俎のエピソードをあえて語らないところにうまさが。
  • 森鴎外 佐橋甚五郎

  • 草枕 - 夏目漱石

    山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は

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