タイムスリップ 高額に義憤、第2・第3の新薬~世界初のエイズ薬、企業が無断で特許 [11/02/15] 東京科学医療グループ・大岩ゆり かつて「現代のペスト」と恐れられたエイズ。1985年に世界初の治療薬AZTを開発したのは、当時、米国立保健研究所(NIH)の研究員だった満屋(みつ・や)裕明熊本大学教授(60)だった。満屋は続々と2番目、3番目のエイズ治療薬も世に送り出した。AZTを売り出した企業への義憤が原動力だった。 「誰かがやらなければいけないんだから、しょうがないわね。ミッチは、医者なんだし」 妻和子の一言に背中を押され、満屋は上司から提案されたエイズウイルス(HIV)の治療薬開発に取り組む決意を固めた。ポスドク(博士研究者)として渡米した1年後の84年。33歳だった。同じ研究所のギャロ博士がエイズの原因ウイルスを発見、と発表したばかりだった。満屋の同僚は、危険なHIVを扱いたく