佐藤 後でまた全体についてお聞きしますが、さっき見てきました朝日ビルに話を移したいと思います。これは朝日新聞社の社屋の4〜5階部分の一部を高速道路が通過しているわけですが、どういう経過でこういうことになったのでしょうか。 小葉竹 阪神高速道路の供用の最初の頃でして、当時は出入橋〜湊町間の部分供用の時期で昭和39年11月ですね。立地条件の制約があり、朝日新聞社ビルの敷地をうまく使わせてもらわないと道路の線形を描くことができなかったという事情がございました。昭和39年でしたから道路法は道路の路下の占用すらも、当時は高架下の利用も街並みの全体の景観を保持する趣旨から非常に厳しく制限されており、当然上空部についても使用制限されていました。そういった中で実際に線型ルートがその敷地を通らないと都市計画できないという事情があり、地権者にも協力いただいて、一体構造で出来上がったということです。 佐藤 高速