2015年4月26日のブックマーク (2件)

  • 意味のない旅をする。 - マトリョーシカ的日常

    目をさますと新宿にいた。人は少なく、途方もなく高いビルがあたりを支配していた。私は新宿駅を目指した。どこに行けばいいのか、しばらく迷った。新宿駅がいくつもあった。地下に潜ることは避けたかったので、JR新宿駅に行くことにした。改札を通り、黄色い電車に乗った。 この旅に目的はない。ただ、なにかの確証が欲しかった。自身の内側にへばりついているそれに、名前をつけたかった。意味を与える作業だ。 御茶ノ水で降りた。東京医科歯科大学を経て、しばらく道を歩いた。しばらく道を歩いた。かかとが痛くなる頃に、赤門が見えた。確かに赤かった。思ったより小さかった。写真を撮った。また歩き、正門をくぐり抜けて安田大講堂に到着した。芝生の向こうで、アカペラサークルが練習していた。それだけだった。辺りには大学特有の匂いが散布されていた。何かになれそうで、なれなそうなあれ。 東大を出て、いくつかの交差点を通り、坂を上って下っ

    意味のない旅をする。 - マトリョーシカ的日常
    fktack
    fktack 2015/04/26
    松屋の朝食は、新緑のようにこんもりしていたのではないか。
  • 『スノー・イン・ザ・サマー』(抜き書き)~(3) - ガラガラポン日記

    2015-04-24 『スノー・イン・ザ・サマー』(抜き書き)~(3) スノー・イン・ザ・サマー 第一章:心と気づき、そして瞑想 私の理解するところでは、気づき(マインドフルネス)の瞑想とは、何か(落ち着き や禅定1、あるいは洞察智2など)をつくり出すものではありません。それはむしろ、何 であれその瞬間に起きていることを、非常にシンプルな仕方で、明らかに観ることなの です。落ち着きや洞察智を目指すこと、もしくはそれをつくり出すことは、私たちのあ るべき場所からはじめようとすることです。すると私たちは、現実の自分の居場所から 出発しなかったがゆえに、いま自分たちがいるところに、常に戻ってきてしまうことに なる。あるいはこのように言うこともできるでしょう。気づきとは、完全に内的なコミュニケーションである、もしくは、人生(の諸問題)が、その根底において理解された ものが瞑想である、と。(P15

    『スノー・イン・ザ・サマー』(抜き書き)~(3) - ガラガラポン日記
    fktack
    fktack 2015/04/26
    「幸せになりたい」と「人より優位に立ちたい」というのは、全く違うけど、心の底では重なり合っているのかもしれない。