底の抜けた成熟社会に入ると、善悪の絶対的基準はなく、殺人をしてもいいという虚無主義的かつ懐疑主義的な文化が蔓延りだす。宮台真司の言葉を借り、脱社会性文化とでも呼んでおこう。 そのような文化的潮流に位置する一つの映画が公開された。(映画そのものは殺人を奨励しているわけでないが、テーマは脱社会性現象を扱っている) 湊かなえ原作、中島哲也監督の「告白」である。 娘を生徒に殺された女教師が、少年法に守られた犯人生徒に復讐をするという話である。殺人の動機は、肥大化した己の自尊心を満たすことや自身の寂しさである。つまり、単なるエゴイズムから殺人をするわけである。少年法に守られて、死刑にならないことを盾にとり、どんな殺人もできるみたいなところを描いている。少年は、己の自尊心を満たすことのみが中心であり、殺人に対して何ら罪悪感はなく、良心装置が全く埋め込まれていない。殺人をしたら、自己の道徳的値打ちが下が