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2009年6月16日のブックマーク (3件)

  • 行為への欲望を擁護する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    まぁ、無理だ無理だと言いなさんな。こここそ、擁護しておかねばならんことのはず。 陵辱表現であっても、必ずしも陵辱する側に感情移入してるわけではないとか、性に対する罪悪感と性的欲望の一つの結合のあり方であるとか、陵辱表現に対する欲望は(確かに)さまざまにありうる。その意味で、陵辱表現への欲望と陵辱行為への欲望は、必ずしも重ならず、表現を欲望する人たちの姿はずっと多様。それはそう。 ただし、陵辱行為への欲望とほとんど区別つかない形で陵辱表現を欲望している人というのは、ホントにいる。そういう人はいて、じゃあ、そういう人は救いようがないのか。死んでもらうべきか。そんなことでもない。 こういう人にとって陵辱表現はどのような意味を持つか。ガス抜きになるか。なる面もあるかもしれないが、むしろ、こういう欲望を強化するような面もあるかもしれず、私見では、後者の方が強い気がする。じゃあ、表現自体にアクセスでき

    行為への欲望を擁護する - モジモジ君のブログ。みたいな。
    flurry
    flurry 2009/06/16
    いやその、「その1」から読み返してみたのですが、(とりあえず一つ挙げるなら)「開き直るな」ということを言い続けている点で、普通に首尾一貫してると思うのですけど>ギャラリーの皆様。
  • 革命的非モテ同盟跡地

    flurry
    flurry 2009/06/16
    最後の「道連れに」云々ですが、道連れにする相手が偏ってるので、単にid:furukatsuさんの日頃からの?願望にしか見えないとゆー。もし「嫌がらせのために、実際に性犯罪を起こすかも」とか言い出したら不思議なことに。
  • 他者を歓待するブログについて - G★RDIAS

    以下の投稿はid:mojimojiさんによるゲスト投稿です。 ===== 私が、様々な媒体の中でも特にブログという媒体に愛着を持っているのは、そこが他者に出会ってしまいやすい媒体である、という思いがある。その意味で、kanjinai氏の書かれた「ネットに「他者」は現れるか」にはとても興味を引かれた。その中での「「他者」は実は現われていない」という記述について、これは当然、僕の考えるところと違う。しかし、それ以外の多くの部分に首肯するところもたくさんある。どこで異なってしまっているのか。このところ、この問題がずっと頭に引っかかっていて、考え続けていた。──そんなときに、GORDIASにゲスト記事を書かないか、という打診があり、いろいろ考えた末に*1、書かせていただくことにした。 述べたいことは大きく二つ。一つは「ネットに「他者」は現れる」ということ。いま一つは「閉じることを正当化しない」とい

    他者を歓待するブログについて - G★RDIAS
    flurry
    flurry 2009/06/16
    今こそ読み返す、ではなくて、そもそも読んでなかったことに気付きました。