2018年2月9日のブックマーク (2件)

  • 「あたしおかあさんだから」のエピソードはどのように活かされたか、ナウシカの母親を考える - ネットロアをめぐる冒険

    先日も呟きましたが*1、絵作家ののぶみ氏の「あたしおかあさんだから」の歌詞がずいぶん燃え盛っています。彼自身は、「おかあさんたちに聞いたり おかあさんにエピソード募集して作ってます」とコメントしています*2。しかし、エピソードの募集の仕方がいかがかな、というツイートもありました。 #あたしおかあさんだから の歌詞について #のぶみ さんは「おかあさんだから体験出来たことを取材して歌詞にした」などど言い訳がましいコメントを出していますが、そもそものエピソード募集が「おかあさんだからガマンしてること」だからね pic.twitter.com/hMCdVo8pVS — 桜良 (@NrsSJlmPulCyhGZ) 2018年2月5日 彼の2017年10月19日のFacebookの投稿*3では、 【あたし、おかあさんだから】 ってガマンしてること ある人、コメントしてください(^O^) という内容

    「あたしおかあさんだから」のエピソードはどのように活かされたか、ナウシカの母親を考える - ネットロアをめぐる冒険
    fmtt_moon
    fmtt_moon 2018/02/09
  • 世の中から本当の「さようなら」が消えてしまったことで起きた、スズキという男の悲劇。

    当の「さようなら」がこの世界から消えた 「さようなら」がこの世界より消えてから随分と時間が経ったように思う。 もうどこを探しても「さようなら」はいないのだろう。当の意味での「さようなら」など絶滅してしまったのだ。 あるのは偽りと芝居がかった「さよなら」だけ、そんな世界に僕らは生きている。 別れの挨拶、「さようなら」の消失は僕たち人間の在り方を大きく変えた。 時代の進み方に伴って人間の在りようが変わる様を「進化」と表現することもあるが、どうにもこの変化だけは「退化」であるような気がしてならない。 ネット社会の隆盛と、SNSの台頭は僕らを大きく退化させたのだ。単純に言うと、僕らの口から当の意味での「さようなら」を奪ったのだ。 まだネットもスマホもSNSも存在しなかった時代、別れとは深刻なものだった。 あるコミュニティから離脱する場合、例えば学校のクラスという場所からの離脱、つまり卒業や転

    世の中から本当の「さようなら」が消えてしまったことで起きた、スズキという男の悲劇。
    fmtt_moon
    fmtt_moon 2018/02/09
    「さようなら」はそこまでの物事を一旦終わらせる。終わらせるからこそ意味が生まれることも。"「さようなら」こそ人との関りが便利になることに反比例して希薄になったこの現代社会に必要なんじゃないだろうか"