藤原道綱母(ふじわらのみちつな の はは)は、平安時代中期の歌人。『蜻蛉日記』の作者。藤原倫寧の娘。藤原道綱の母。 経歴[編集] 藤原道綱母(柳々居辰斎画) 出生[編集] 藤原倫寧の娘として、936年ごろに誕生したと推定される[1]。彼女の母について諸説ある。道綱母集の勘物では源認の娘(藤原長能の母)とされるが、蜻蛉日記中で描かれる彼女の母の死(964年)は『長能集』から推定される源認女の死亡時期と一致しない。日記から彼女は同母兄弟を持つと推察されること、また『尊卑分脈』から倫寧の男子に藤原理能・長能の2人が確認できることから、彼女の母は理能と同じ藤原春道(主殿頭)の娘と推測されている[2]。 兼家との結婚生活[編集] 天暦8年(954年)に藤原兼家の妻の一人になり、天暦9年(955年)に道綱を儲けた。安和元年(968年)の初めごろに東宮(後の円融天皇)の親代わりであった藤原登子と交流し[
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