2021年6月30日のブックマーク (3件)

  • 『閉塞しつつあるはてな村を肴にしてキャッキャウフフする会』、7/2(金) 20:00~ Twitterスペースで開催します - 自意識高い系男子

    2021年7/2(金)20:00~、最近界隈で話題の「はてな村の閉塞感」を主題にTwitterスペースではてな村同窓会という名のオンラインオフ会*1を開催します。題して『閉塞しつつあるはてな村を肴にしてキャッキャウフフする会』。当日のアドレスは↓。 当日のアドレスはこちらになります。https://t.co/W0yu8ph2l8— Ta-nishi (@Tanishi_tw) 2021年6月29日 https://twitter.com/i/spaces/1YqKDeelkRLGV ハッシュタグ : #はてな村キャッキャウフフ 参加者 シロクマ氏(id:p_shirokuma) シロクマの屑籠 しんざき氏(id:unfallen_castle) 不倒城 池田仮名氏(id:bulldra) 太陽がまぶしかったから はせおやさい氏(id:hase0831)(途中参加予定) インターネットの備忘

    『閉塞しつつあるはてな村を肴にしてキャッキャウフフする会』、7/2(金) 20:00~ Twitterスペースで開催します - 自意識高い系男子
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    font-da 2021/06/30
  • 「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか

    先日、私の新しい『何者かになりたい』がイーストプレスさんからリリースされた。 想定読者は「何者かになりたい」と願わずにいられない人や「何者にもなれない」と悩んでいる人だ。 そうした気持ちをどこかに抱えながら中年期を迎えた人も、潜在的読者かもしれない。 ところで、この「何者かになりたい」「何者にもなれない」といったフレーズには、シンパシーをおぼえる人とまったくおぼえない人がいるのが通例だ。 たとえば先月、講談社ビジネスに 『「何者かになりたい人々」が、ビジネスと政治の「い物」にされまくっている悲しい現実)』という記事が公開された時、twitterはてなブックマークではこうした気持ちへのシンパシーがたくさん書き込まれると同時に、「そんな気持ちになったことはない」という書き込みも少なくなかった。 先月公開された『いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。』という記事で

    「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか
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    font-da 2021/06/30
    この話、抽象化して誰にでも当てはまるように書くと途端につまんなくなるね。はてなの面白さはパーソナルな物語にあるのだった。
  • 「何者でもない私たち」だからこそ主役になれると驕っていた時代 - あままこのブログ

    anond.hatelabo.jp この記事、シロクマ氏やアジコ氏に向けられているけど、僕は勝手に「これってまさしく僕のような人間に向けられた手紙じゃん」と思わずにはいられませんでした。なので、勝手に宛先が僕になっていると勘違いして、話を進めます。 はてな村を形作っていたのは、むしろ僕のような「未だ何者でもない」者たちだった というかそもそも、シロクマ氏やアジコ氏のような人間がはてな村人の代表として扱われるのが僕には納得いかないんですね。彼らはむしろ、「マンガ作者」とか「精神科医」みたいな、自分の属性・居場所を外に担保しておきながら、あくまで観察者としてはてな村のようなコミュニティを眺めている立場だったというのが、僕の感覚なんです。 そういう人らは、「実生活から一時的に逃げるアジール」としての機能がかつてのはてなにはあったと語るけど orangestar.hatenadiary.jp 僕か

    「何者でもない私たち」だからこそ主役になれると驕っていた時代 - あままこのブログ
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    font-da 2021/06/30
    半分くらいわかるけど、あとはさっぱりだった。アジコさんは(そして私も)ロスジェネで、あままこさんはもうちょい下の世代だから?私も自分探したり、居場所作ったりするのが好きだから、アジールめちゃわかる。